、偽狂人になりやがつて、俺はその手には乗らんぞ」
「小母さん、それでは俺がお高さんを殺したのか、」
「白ばくれるな、鬼、畜生、偽狂人になつて、よくもよくも殺したな、お高の仇は俺が打つぞ、」
 源吉は青い顔をして考へ込んだ。
「さあ、訳を云え、訳を聞いてやる、」
 源吉は片手をあげて老婆の言葉を押へるやうにした。
「小母さん、待つてくれ、俺は白ばくれもせん、嘘も云はん、本当に俺は何も知らなかつた、何のために狂人病院へ這入つたのか、ちつとも判らなかつた、伯父も何も云つてくれない、昨日帰つたから、落ちついたなら聞かうと思つてをつた、さうか、それは、」
 源吉は大きな呼吸を吐いて俯向いたなりにまた考へ込んだ。
「人の娘を殺しあがつて、知らなかつたもよく云へた、まだ手前にも云ひたいこともあるが、また今度にする、」
 老婆は気が折れたやうに源吉を離れて向ふの方へ歩き出した。もう薄暗くなつてゐた。荒物屋の前にも二三人反対の側にも五六人の者が立つて二人の容子をぢつと見てゐた。
 源吉はやつと顔をあげて老婆の行つた方を見た。老婆の姿はもう見えなかつた。その源吉の眼に青い月の光の漂うた海岸の松原が見え麦の
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