原氏、あなたの顔には、二十日を待たずして、必ず死ぬると云う相が出ている」
と云った。新三郎はあきれた。
「へえ、私が」
「しかたがない、必ず死ぬ」
そこで新三郎が何とかして死なないようにできないだろうかと云うと、勇斎が毎晩来る女を遠ざけるより他に途《みち》がないと云ったが、新三郎は勇斎がお露のことを知るはずがないと思っているので、
「女なんか来ませんよ」
と云った。すると勇斎が、
「そりゃいけない、昨夜《ゆうべ》見た者がある、あれはいったい何者です」
新三郎はもうかくすことができなかった。
「あれは牛込《うしごめ》の飯島と云う旗下の娘で、死んだと思っておりましたが、聞けば事情があって、今では婢《じょちゅう》のお米と二人で、谷中の三崎に住んでいるそうです。私はあれを、ゆくゆくは女房にもらいたいと思っております」
「とんでもない、ありゃ幽霊だよ、死んだと思ったら、なおさらのことじゃないか」
しかし、新三郎は信じなかった。勇斎は其の顔をじっと見た。
「それじゃ、おまえさんは、その三崎村の女の家《うち》へ往ったことがありなさる」
新三郎は無論お露の家は知らなかった。それに、新三郎は勇斎の態度があまり真剣であるから何となく不安を感じて来た。
「先生、それなら、これから三崎へ往って調べて来ます」
そこで新三郎は三崎村へ往った。そして、彼方此方《あちらこちら》と尋ねてみたが、それらしい家がないので、不思議に思いながら帰ろうと思って新幡随院《しんばんずいいん》の方へ来た。新三郎はもうへとへとになっていた。其の新三郎が新幡随院の境内を通りぬけようとしたところで、堂の後《うしろ》になった墓地に、角塔婆《かくとうば》を建てた新しい墓が二つ並んでいた。そして、其処には牡丹の花のきれいな燈籠が雨ざらしになっていた。新三郎の眼は其の牡丹燈籠に貼りついたようになった。それは彼《か》のお米がお露とともに毎夜|点《つ》けて来る燈籠とすこしも変わらなかった。新三郎はもしやと思って寺の台所へ往って聞いてみた。すると其処にいあわせた坊主が、
「あれは牛込の旗下《はたもと》で、飯島平左衛門と云う人の娘と、婢の墓だ」
と云った。それを聞くと新三郎は蒼くなって走った。そして、其の足で勇斎の処へ往って右の事情を話した。
「占いで、来ないようにできますまいか」
「占いで幽霊の処置はできん。彼《あ》の新幡随院の和尚《おしょう》はなかなか豪《えら》い人で、わしも心やすいから、手紙をつけてやる、和尚の処へ往って頼んでみるがいい」
新幡随院の住持は良石《りょうせき》和尚と云って、当時名僧として聞えていた。新三郎は勇斎から手紙をもらって良石和尚を尋ねて往った。良石和尚は新三郎を己《じぶん》の室《へや》へ通して其の顔を見ていたが、
「おまえさんの因縁は、深いわけのある因縁じゃ、それはただいちずにおまえさんを思うている幽霊が、三世も四世も前から、生きかわり死にかわり、いろいろの容《さま》を変えてつきまとうているから、遁《のが》れようとしても遁れられないが」
と云って、死霊除《しりょうよけ》のお守《まもり》をかしてくれた。それは金無垢《きんむく》で四寸二分ある海音如来《かいおんにょらい》のお守であった。そしてそれとともに一心になって読経《どきょう》せよと云って、雨宝陀羅尼経《うほうだらにきょう》という経文《きょうもん》とお札《ふだ》をくれた。
新三郎は良石和尚にあつく礼を云って帰って来たが、帰ってくると早速勇斎に手伝ってもらって、和尚の云ったようにお札をいたる処に貼り、海音如来のお守を胴巻に入れて首にかけ、蚊帳を釣って其の中で経文を読んでいた。
其のうちに夜になって、カラコン、カラコンと云う下駄の音が聞えて来た。新三郎は一心になって経文を唱えていたが、やがて駒下駄の音が垣根の傍でぴたりととまったので、恐るおそる蚊帳から出て雨戸の節穴《ふしあな》から覗いてみた。いつものようにお米が牡丹燈籠を持っている後に、文金の高髷に秋草色染の振袖を著《き》たお露が、絵の中から抜け出たような美しい姿を見せていた。新三郎はぞっとした。其の時|家《うち》の周囲に眼をやっていたお米がお露の方を見た。
「お嬢さま、昨夜《ゆうべ》のお詞《ことば》と違って萩原さまは、お心|変《がわり》あそばして、あなたが入れないようにしてございますから、とてもだめでございます。あんな心の腐った男は、もうお諦《あきら》めあそばせ」
「あれほどまでにお約束をしたのに、変りはてた萩原さまのお心が情けない。お米や、どうぞ萩原さまに逢わせておくれ、逢わせてくれなければ、私は帰らないよ」
お露は振袖を顔にあてて泣きだした。其のうちに二人が裏口の方へ廻ったようであるから、新三郎は蚊帳の中へ入ってぶるぶると顫えていた。
四
おみね[#「おみね」に傍点]はうす暗い行燈《あんどん》の下で一所懸命に手内職をしていたが、ふと其の手を止めて蚊帳の中をすかすようにした。処《ところ》どころ紙撚《かみより》でくくった其の蚊帳の中では、所天《おっと》の伴蔵が両手を膝についてきちんと坐り、何かしらしきりに口の裏で云っていた。おみねは所天の態度がおかしいので目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]った。と、その時みずみずしい女の声が聞えて来た。おみねはおやと思ったが、そのうちに女の声も聞えなくなったので、そのままにしていると、その翌晩もまたその翌晩も同じように伴蔵の所へ女が来るようであるから、とうとうがまんがしきれなくなった。
「人が寝ないで稼いでいるのに、ばかばかしい、毎晩おまえの所へ来る女は、ありゃ何だね」
すると伴蔵が蒼い顔をして話しだした。それは牡丹燈籠を点けたお露とお米が来て、新三郎の家《うち》の裏の小さい窓へ貼ってあるお札を剥《はが》してくれと云って頼むので、明日剥しておくと云って約束したが、其の日は畑へ往ってすっかり忘れていたところで、その夜また二人が来て何故剥してくれないかと云った。そこで忘れていたから明日はきっと剥しておくと云ったが、考えてみると、いくらなんでもあんな小さい窓から人間が出入のできるものではない。これはきっと幽霊にちがいないから、もしもの事があってはたいへんだと思って、おみねにも話さずにいるとのことであった。
「そんなわけで、おれは此処を引越してしまおうと思うよ」
するとおみねが、
「明日の晩来たら、私ども夫婦は、萩原さまのおかげで、こうやっているから、萩原さまに万一の事があっては、生活《くらし》がたちませんから、どうか生活のたちゆくようにお金を百両持って来てください。そうすれば、きっと剥がしておきますと云うがいいよ」
と云った。
その翌日、伴蔵とおみねは新三郎の家《うち》へ往って、無理に新三郎に行水《ぎょうずい》をつかわすことにして、伴蔵が三畳の畳をあげると、おみねが己《じぶん》の家で沸した湯と盥《たらい》を持って来た。そこで新三郎は衣服《きもの》を脱ぎ、首にかけていた彼《か》の海音如来のお守を除《と》った。
「伴蔵、これはもったいないお守だから、神棚へあげておいてくれ」
伴蔵はそれを大事そうに執った。
「おみね、旦那の体を洗ってあげな」
おみねは新三郎の後《うしろ》へ廻って洗いだした。そして、何かと云いながら襟を洗うふうをして伴蔵の方を見せないようにした。
其の時伴蔵は彼《か》の胴巻から金無垢のお守を取り出していた。伴蔵とおみねは、お露から百両のお礼をするから、お札の他にお守を隠しておいてくれと云われているので、行水に事よせてそれを盗もうとしているところであった。
伴蔵は海音如来のお守を抜きとると、其のあとへ持って来ていた瓦《かわら》で作った不動様の像を押しこんで、もとのように神棚へあげた。そして、新三郎の行水が終ると、二人はそしらぬ顔をして帰って来たが、帰って来るなり、海音如来のお守を羊羹箱《ようかんばこ》の古いのへ入れて畑の中に埋め、今夜はお露たちが百両の金を持って来るから、其の前祝いだと云って、二人でさし対《むか》って酒を飲んでいた。
其のうちに八つ比《ごろ》になった。そこでおみねは戸棚の中へかくれ、伴蔵が一人になってちびりちびりとやっていると、清水《しみず》の方からカラコン、カラコンと駒下駄の音が聞えて来たが、やがてそれが生垣の傍でとまったかと思うと、
「伴蔵さん、伴蔵さん」
と云って、お米とお露が縁側へ寄って来た。伴蔵が顫えながら返事すると、お米が、
「毎晩あがりまして、御迷惑なことを願い、まことに恐れいりますが、まだ今晩もお札が剥れておりませんから、どうかお剥しなすってくださいまし」
「へい剥します、剥しますが、百両の金を持って来てくだすったか」
「はい、たしかに持参いたしましたが、海音如来のお守は」
「あれは、他へかくしました」
「さようなれば百両の金子をお受け取りくださいませ」
お米はそう云って伴蔵の前へ金を出した。それはたしかに小判であった。まさか幽霊が百両の金をと内心疑っていた伴蔵は、それを見るともう怖いことも忘れて、
「それでは、ごいっしょにお出《い》でなせえ」
と云って、二間|梯《ばしご》を持ち出して新三郎の家《うち》の裏窓の所へかけ、顫い顫いあがってお札を引剥《ひっぺ》がした機《ひょうし》に、足を踏みはずして畑の中へ転げ落ちた。
「さあお嬢さま、今晩は萩原さまにお目にかかって、十分にお怨《うら》みをおっしゃいませ」
お米はお露を促して裏窓から入って往った。
翌朝になって伴蔵は、欲にからんでやったものの、さすがに新三郎のことが気にかかるので、おみねを伴れて容子を見に往った。
そして、雨戸を開けて中を覗くなり、のけぞるように驚いて白翁堂勇斎の家へ往き、勇斎を伴れて新三郎の家へ取って返した。新三郎は蒲団の中で死んでいたが、よほど苦しんだとみえて、虚空を掴《つか》み歯をくいしばっていたが、その傍に髑髏《どくろ》があり、手の骨らしいものもあって、それが新三郎の首にからみついていた。
底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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