て、
「まあお入りなさい、其処の折戸をあけて」
 と云うと二人が入って来た。後の壮《わか》い女はお露であった。お米は新三郎に、
「ほんとに思いがけない。萩原さまは、お歿《な》くなり遊ばしたと云うことを伺っていたものでございますから」
 と云った。そこで新三郎は志丈の云ったことを話して、
「お二人が歿くなったと云うものだから」
 と云うと、お米が、
「志丈さんがだましたものですよ」
 と云って、それから二人が其処へ来た理《わけ》を話した。それによると平左衛門の妾《めかけ》のお国《くに》が、某日《あるひ》新三郎が死んだと云ってお露を欺したので、お露はそれを真《ま》に受けて尼になると言いだしたが、心さえ尼になったつもりでおればいいからと云ってなだめていると、今度は父親が養子をしたらと云いだした。お露はどんなことがあっても婿はとらないと云って聞かなかったので、とうとう勘当同様になり、今では谷中《やなか》の三崎《みさき》でだいなしの家《うち》を借りて、其処でお米が手内職などをして、どうかこうか暮しているが、お露は新三郎が死んだとのみ思っているので、毎日念仏ばかり唱えていたのであった。そして、お米は、
「今日は盆のことでございますから、彼方此方《あっちこっち》おまいりをして、晩《おそ》く帰るところでございます」
 と云った。新三郎はお露が無事でいたので喜《うれ》しかった。
「そうですか、私はまた此のとおり、お嬢さんの俗名を書いて、毎日念仏しておりました」
「それほどまでにお嬢さまを」思い出したように、「それでお嬢さまは、たとえ御勘当になりましても、斬《き》られてもいいから、萩原さまのお情を受けたいとおっしゃっておりますが、今夜お泊め申してもよろしゅうございましょうか」
 それは新三郎も望むところであったが、ただ孫店に住む白翁堂勇斎《はくおうどうゆうさい》と云う人相観《にんそうみ》が、何かにつけて新三郎の面倒を見ているので、それに知れないようにしなくてはならぬ。
「勇斎と云うやかましや[#「やかましや」に傍点]がいますから、それに知れないように、裏からそっと入ってください」
 そこでお米はもじもじ[#「もじもじ」に傍点]しているお露を促《うなが》して裏口から入り、とうとう其処で一泊した。そして、翌日はまだ夜の明けないうちに帰って往ったが、それからお露は毎晩のように新三郎の処へ来た
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