四

 おみね[#「おみね」に傍点]はうす暗い行燈《あんどん》の下で一所懸命に手内職をしていたが、ふと其の手を止めて蚊帳の中をすかすようにした。処《ところ》どころ紙撚《かみより》でくくった其の蚊帳の中では、所天《おっと》の伴蔵が両手を膝についてきちんと坐り、何かしらしきりに口の裏で云っていた。おみねは所天の態度がおかしいので目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]った。と、その時みずみずしい女の声が聞えて来た。おみねはおやと思ったが、そのうちに女の声も聞えなくなったので、そのままにしていると、その翌晩もまたその翌晩も同じように伴蔵の所へ女が来るようであるから、とうとうがまんがしきれなくなった。
「人が寝ないで稼いでいるのに、ばかばかしい、毎晩おまえの所へ来る女は、ありゃ何だね」
 すると伴蔵が蒼い顔をして話しだした。それは牡丹燈籠を点けたお露とお米が来て、新三郎の家《うち》の裏の小さい窓へ貼ってあるお札を剥《はが》してくれと云って頼むので、明日剥しておくと云って約束したが、其の日は畑へ往ってすっかり忘れていたところで、その夜また二人が来て何故剥してくれないかと云った。そこで忘れていたから明日はきっと剥しておくと云ったが、考えてみると、いくらなんでもあんな小さい窓から人間が出入のできるものではない。これはきっと幽霊にちがいないから、もしもの事があってはたいへんだと思って、おみねにも話さずにいるとのことであった。
「そんなわけで、おれは此処を引越してしまおうと思うよ」
 するとおみねが、
「明日の晩来たら、私ども夫婦は、萩原さまのおかげで、こうやっているから、萩原さまに万一の事があっては、生活《くらし》がたちませんから、どうか生活のたちゆくようにお金を百両持って来てください。そうすれば、きっと剥がしておきますと云うがいいよ」
 と云った。

 その翌日、伴蔵とおみねは新三郎の家《うち》へ往って、無理に新三郎に行水《ぎょうずい》をつかわすことにして、伴蔵が三畳の畳をあげると、おみねが己《じぶん》の家で沸した湯と盥《たらい》を持って来た。そこで新三郎は衣服《きもの》を脱ぎ、首にかけていた彼《か》の海音如来のお守を除《と》った。
「伴蔵、これはもったいないお守だから、神棚へあげておいてくれ」
 伴蔵はそれを大事そうに執った。
「おみね、旦那の体を洗ってあげな」
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