怪譚小説の話
田中貢太郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)纏《まと》まらない
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「月+昔」、第3水準1−90−47]
−−
私は物を書く時、面白い構想が浮ばないとか、筋が纏《まと》まらないとかいうような場あいには、六朝小説を出して読む。それは晋唐《しんとう》小説六十種で、当時の短篇を六十種集めた叢書であるが、それには歴史的な逸話があり、怪譚があり、奇譚《きたん》があって、皆それぞれ面白い。泉鏡花《いずみきょうか》子の『高野聖《こうやひじり》』は、その中の幻異志《げんいし》にある『板橋三娘子《はんきょうさんろうし》』から出発したものである。板橋《はんきょう》に三娘女《さんろうじょ》という宿屋をしている老婆があって、それが旅人に怪しい蕎麦《そば》の餅《もち》を啖《く》わして、旅人を驢《ろば》にして金をもうけていたところで、趙季和《しょうきわ》という男がそれを知って反対《あべこべ》にその餅を老婆に啖わして老婆を驢にしたという話で、高野聖では幻術で旅人を馬にしたり猿にしたりする美しい女になっており、大体の構想に痕跡の拭《ぬぐ》うことのできないものはあるが、その他は間然《かんぜん》する処《ところ》のない独立した創作であり、また有数な傑作でもあって、上田秋成《うえだあきなり》が『西湖佳話《せいこかわ》』の中の『雷峯怪蹟《らいほうかいせき》』をそっくり飜案して蛇性の婬《いん》にしたのとは甚《はなは》だしい相違である。
またその叢書の中の『幽怪録《ゆうかいろく》』には、岩見重太郎《いわみじゅうたろう》の緋狒退治《ひひたいじ》というような人身御供《ひとみごくう》の原話になっているものがある。それは唐《とう》の郭元振《かくげんしん》が、夜、旅をしていると、燈火の華やかな家があるので、泊めてもらおうと思って往くと、十七八の娘が一人泣きくずれている。聞いてみると、将軍と呼ばれている魔神の犠牲《いけにえ》にせられようとしていた。そこで郭は、娘を慰めて待っていると、果して轎《かご》に乗って数多《あまた》の供を伴《つ》れた男が来た。郭は珍しい肴《さかな》を献上するといって、鹿の※[#「月+昔」、第3水準1−90−47]《ほじし》を出すふりをして、その手を斬り落し、翌日血の痕をつけて往くと、大きな猪《いのしし》であったから殺して啖《く》った。この幽怪録の話は、明《みん》の瞿佑《かくゆう》の『剪燈新話《せんとうしんわ》』の中の申陽洞《しんようどう》の記の粉本《ふんぽん》になっている。
またその叢書の『続幽怪録《ぞくゆうかいろく》』の中にある定婚店《じょうこんてん》の話は、赤縄《せきじょう》の縁《えん》の伝説である。韋固《いこ》という者が結婚の事で人に逢う約束があって、朝早く竜興寺《りゅうこうじ》という寺へ往ったところで、一人の老人が階段の上で袋にもたれて物を読んでいた。韋固がそれは何かと云って聞くと、男女の結婚の事を書いたもので、袋の中には赤い縄があるが、その縄で男と女の魂を繋《つな》ぐと、どうしても夫婦になるといった。そこで自分の結婚の事を聞くと、それは調《ととの》わない、君の細君になる女は今年三つで、十七にならんと結婚はできないが、今それは乞食のような野菜売の婆さんに抱かれて、毎日市場へ来ているといった。韋固は忌《いま》いましいので、下男にいいつけて殺しにやった。下男は子供の額《ひたい》に斬りつけて逃げてきたが、後十四年して細君を迎えたところで、その細君は何時《いつ》も花鈿《はなかんざし》を額へ垂らしていた。理《わけ》を聞いてみると、三つの時に兇漢《きょうかん》に刺されて傷があるからだといった。
要するに六朝小説は支那《しな》文学の源泉で、それが小説になり、戯曲になり、詩になり、その流れは『捜神記《そうしんき》』『剪燈新話』『西湖佳話』『聊斎志異《りょうさいしい》』というような怪譚小説になった。秋成の蛇性の婬は『西湖佳話』の飜案であるという事は今もいったが、円朝の怪談で有名な彼《か》の『牡丹燈籠《ぼたんどうろう》』は『剪燈新話』の中の『牡丹燈記』から出たもので、この牡丹燈記の話は、他にもいろいろな話になっている。小泉八雲《こいずみやくも》の怪談の中にある耳なし法師の話も、やはり『牡丹燈記』の変形である。
小泉八雲の怪譚といえば、私の好きなものは狢《むじな》の怪談である。商人が紀《き》の国坂《くにざか》を通っていると娘が泣いている。傍へ往って慰めてやろうとすると娘が顔をあげたが、それは目も鼻もないのっぺら坊であった。商人は顫《ふる》えあがって逃げていると夜鷹蕎麦《よたかそば》がいた。ほっとして傍へ往くと、蕎麦屋の爺仁《おやじ》が理《わけ》を聞くので、のっぺら坊の妖怪に逢った事を話すと、爺仁は顔をつるりと撫《な》でて、こんな顔であったかといった。それも目も鼻もないのっぺら坊であった。
こののっぺら坊の話は、本所《ほんじょ》の七不思議の置いてけ堀と一つのものである。私の郷里にも同系統の話がある。場所は一方に山があり一方に畑や松原があって人家も何もないところで、そして、東から来ると山の取付に三味線松という天狗《てんぐ》が来て三味線を弾くという伝説の松があって、私なども少年の時はひどく怖《こわ》かった。
某日《あるひ》の夕方、村の女の一人がその三味線松の下を通っていると、すぐ前に女が歩いている。村の女は伴《つ》れが見つかったので喜んで傍へ往き、土地の詞《ことば》で、
「どうぞ、一所《いっしょ》に往《い》てつかわされませ、みょうな物がおるといいますきに」
というと、前の女は、
「ありゃ、わたしかよ」
といって振りかえったが、それは目も鼻もないのっぺら坊であった。
底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
全1ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング