た。其所の客は皆若い男で、散髪屋の職人とでも云つた風であつた。客はお幸ちやんを中心にして笑ひ声を立てた。其所には棚に据ゑた煽風機の騒々しい風があつた。
「おい、ソーダ水の代りを持つて来い、」
 入口の左側で三人のテーブルの隣から威張つたやうなものの云ひ方をした。其所には樺色の杉板に背を凭せるやうにして二人の客が話してゐた。一人は髪も頬髭もむしやむしや生えた童顔の太つた男で一人は背のひよろ長い神経質らしい顔をして長い髪の毛を綺麗に撫でつけた若い男であつた。
 浪花節の若衆の前に立つてゐたお菊ちやんが二人の前に来た。童顔の男は麦藁の入つてゐる空になつたコップを[#「コップを」はママ]弾くやうにしてみせた。
「これ、これ、」
「あ、二つ、ね、」
「うん、」
 お菊さんは狭い人の背の間を潜つて暖簾の口へ行つた。
「ソーダ水二ちやう、」
 童顔の男は急に椅子から立つた。
「帰りませう、」
 背のひよろ長い連の男がそれを見て腰をあげた。
「いや、帰るんぢやない、便所だ、便所だ、」
 童顔の男は左の手を出して押し止めるやうにしてから、開けてある硝子戸の端に体を当て当て外へ出た。軒下に垂らした白いカーテンの先には内から射した電燈の光を受けて糸のやうな雨が降つてゐた。
「山田さん、家へお入りなさいよ、人が見るぢやありませんか、」
 内からお菊さんが大きな声をした。
「人が見たつて好いさ、別に違つたことをするんぢやないよ、」
 童顔の男は笑ひながら左隅の軒下へ行つて、五分近くもゐてからのつそりと入つて来た。
「あの杉は、もう見込みがないぜ、俺がこんなにまでしても、芽を出さないのだ、」
 お菊さんは代のソーダ水を持つて来たところであつた。丁度その時、浪花節の若衆がかすれた声を止めて扇を放り出すやうに置いた。もう勘定をすましてゐた会社員はいきなりそれを手にして、連と一緒に笑ひ笑ひ出て行つた。
 浪花節の若衆の前には四五本のビールの罎があつた。彼はまたビールのコップを[#「コップを」はママ]手にしたが、疲れたのか左の肱をテーブルの端にぐつしよりとつけて凭れた。と、小柄な男が蛇の目傘を畳みながら入つて来た。
「いらつしやいまし、」
 会社員の一行を出口まで送つて行つたお幸ちやんがお愛想を云つた。それはその前々夜やつて来た柔和な綺麗な顔をした何所かの若旦那とでも云ふやうな男で、白絣の上に鉄色の絽
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