きた女は彭の傍へ寄るなりその背を撫でさすりながら泣いた。そして彭の枕頭にいる女に指をさして罵った。
「この悪魔、私の所夫《おっと》をこんなにしておいて、まだひどいことをしようというのか」
 彭は二人の顔を見較べてみたが、顔から髪から着物の色合から何方がどうとも識別《みわけ》ることができなかった。
「二人とも何も言うな、俺はもうすぐ死んじまうのだ」
 入ってきた女はまた声を出して泣きだしたが、急になにか思いだしたようにそのまま走って出て行った。
 彭はそのままぐったりとなっていた。それは夕方であった。さっきの女が侍女を連れて、それに体の真黒な頂の丹《あか》い鶴を抱かして入ってきた。と、彭の傍にいた女は体が萎縮したようになって其所へ倒れてしまった。侍女は鶴を放した。その鶴の嘴は倒れた女の頭へ行った。女の姿は白い大きな蛇になった。鶴の嘴はその蛇の腹へ行った。蛇の腹からは小さな玉が出て転がった。女はその玉を拾ってから彭の眼の前に出した。
「これは、雷峰塔の蛇が、私に化けていたものですよ、私が舅さんに随いて、瑤池《ようち》へ行って、王母にお眼にかかっている留守に、貴郎をたばかったものですよ、この鶴は、王母の所から借りてきたものです、貴郎の毒はひどいが、この玉と雄黄《ゆうおう》とを練って飲むと、すぐ癒りますから心配はいりません」
 女は侍女にその玉を渡して薬を拵えてこさした。侍女は次の室へ行ってすぐ薬を拵えてきた。
 彭は三日ばかりすると起きれるようになったので、女といっしょに帰って行った。其所はやはり孤山の麓にある水晶閣であった。
 女は生れて二月ぐらいになる児《こども》を抱いてきた。それは女から生れたものであった。彭は喜んだ。
「この子は来復《らいふく》とつけよう」
 それを聞くと女は泣きだした。
「私はこの子の成長を見ることができませんから、貴郎が好く面倒を見てやってください」
「何故そんなことを言うのだ」
「私は紫府《しふ》の侍書《じしょ》でしたが、貴郎とこういうことになったために、その罪で黄岡《こうこう》の劉修撰の家の児に生れかわることになりました」
 女はそう言って泣きながら彭の手から児を取って乳を飲ましていたが、すぐそれを彭に返してひらひらと出て行った。そして、十足ばかり行くともう見えなくなってしまった。



底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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