いた。
「おい、彭君じゃないか」
だしぬけに声をかけるものがあった。彭は吃驚《びっくり》して我に返った。それは霊隠寺《れいいんじ》へ行っていた友人であった。
「ああ君か」
「君は、いったい此所《ここ》で何をしているのだ」
彭は女を捜しているとも言えなかった。
「散歩に来たところなのだ」
「そうかね、じゃ、いっしょに帰ろうじゃないか」
彭は友人と同時《いっしょ》に帰ってきたが、女のことが諦められないので、翌日は朝から孤山の麓へ行って、彼方此方と探して歩いたがどうしても判らなかった。人を見つけて聞いてみても、何人《だれ》も知っている者がなかった。それでも思い切れないので、その翌日もまたその翌日も、毎日のように孤山の麓へ行って日を暮した。
彭はとうとう病気になって、飯もろくろく喫《く》わずに寝ているようになった。と、ある夜、扉を開けて入ってきた者があった。彭は何人《だれ》かきたとは思ったが、顔をあげるのも苦しいのでそのままじっとしていた。
「公主からお迎えにあがりました」
眼を開けて見ると、稚児髷《ちごまげ》に結《ゆ》うた女の子が燈籠を持って枕頭《まくらもと》に立っていた。しかし、彭は相手になるのが面倒であったから、ぐるりと寝返りして壁の方を向いた。
「貴郎《あなた》が、この間、水仙廟の所でお逢いになりました、公主からのお迎えでございます」
彭は急に体を起した。
「水仙廟で逢った公主というのですか」
「そうでございます、公主から貴郎のお供をしてくるようにという、お使いでございます」
「公主とは、どうした方です」
「いらしてくだされたら、お判りになります」
「では、行ってみましょう」
彭は起きて着物を調《ととの》えると、女の子は前《さき》に立って行った。外には月が出て涼しい風が吹いていた。燈籠の灯はその月の光にぼかされて黄いろく見えていた。
彭は生き返ったような軽い気もちになっていた。路は彼方に曲り此方に曲って行った。
「やっとまいりました」
彭はその声に顔をあげて見た。水仙廟の後ろと思われる山の麓に楼閣が簷《のき》を並べていた。女を尋ねて毎日水仙廟のあたりから孤山の頂にかけて歩いていた彭は、そんな楼閣を見たことがなかったので驚いた。
「公主のいらっしゃる所は、別院でございます、私がまいりますから、そっといらっしてくださいまし」
彭はうなずいてみせた。女
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