ゃいけません、私もごいっしょにまいります」
 二人は其所から引返して判官の前へ行った。判官は女の体が弱いと言って、いっしょに行くことを許さなかった。
「これは体が弱いから遠くへは行けない、しかし、お母さんの病気は、もう好くなっているから心配はないが、貴君は子として一度は帰ってくるがいいだろう」
 判官は一粒の丸薬を出して彭に渡した。
「帰ったらこれをお母さんに飲ますがよい、これを飲むと決して年を取らない」
 彭は一人で帰ることにして女に言った。
「秋にはきっと帰ってくる」
 すると女は涙を見せて言った。
「この二三ヶ月、お腹の具合が変でございます、どうか忘れずにいてください」
 彭はその日出発して故郷へ帰ったが、帰ってみると母の病気は癒っていた。彭は母を連れて銭塘の方へこようとしたが、母が遠くへ出るのを嫌うので、一人で引返して聖慶寺《せいけいじ》に寄り、翌日水仙廟の後ろへ帰って行った。
 簷を並べていた楼閣は影もなくなって榛莽《しんぼう》が一めんに繁っていた。彭はもし方角が違ったのではないかと思って、その辺を捜してまわったが、他にそれらしい建物も見えなかった。
 そのうちに日が暮れかけた。彭はしかたなしに西冷橋《せいれいきょう》まで帰ってきた。橋を渡ろうとしてふと見ると、東の方から見覚えのあるかの女がきた。
「貴郎」
「お前か」
 二人は手を取り合った。
「家がなくなっているが、どうしたのだ」
「家が焼けたものですから、雷峰塔の下へ移りました」
「そうか、ちっとも知らなかった」
 二人は其所から舟を雇うて雷峰塔の下へ行った。雷峰塔の下には楼閣が簷を並べていた。
「此所ですよ」
 二人は舟をあがって行った。朱の柱をした綺麗な室が二人を待っていた。女は迎えに出てきた婢《じょちゅう》に言いつけて酒の準備《したく》をさした。女はすこし離れている間に濃艶な女になっていて、元のようなおどおどした可憐な姿はなかった。女はまだ御馳走が終らないのに彭を連れて寝室へ入って行った。
 女は彭に絡まりついて離れなかった。それがために彭は翌日体が起たなかった。女はすこしも傍を離れないで介抱をした。彭はそれが非常に厭《いと》わしかったがどうすることもできなかった。
 たちまち帷をはねあげて入ってきた者があった。彭は驚いて重い眼を開けた。それは自分の傍にいる女とすこしも変らない女であった。入って
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