「雉ですから、早く起きてください、たいへんです」
「なにがたいへんだ、そうぞうしい。それより、咽喉《のど》がかわいた、水を一ぱい持って来い」
「だめです、そんな暢気なことを云ってちゃ、焼け死にます、早く起きてください」
「酒を飲んで焼け死ぬる奴があるか、水を持って来い」
 火はもうその時|華表《とりい》に燃え移っていた。雉は半狂乱になっていたが、大きな胴体をしている来宮様を抱いて往くことができなかった。
「早く、早く、早く起きないと、焼け死にます、早く、早く」
「なにを、そんなにあわてるのだ」
 来宮様がやっと正気になって、顔をむっつりあげた時には、もう華表は一面の火になっていた。それにはさすがの来宮様も驚いて逃げようとしたが、焔《ほのお》に包まれたので逃げることができなかった。
 そこへ土地の者がかけつけて来て火を消し、来宮様を御殿へ伴れて往っていろいろ介抱したが、火傷《やけど》がひどかったので、それがためにとうとう歿《な》くなってしまった。

       二

 その来宮様のいた処は、今の静岡県《しずおかけん》加茂郡《かもごおり》下河津村《しもかわづむら》の谷津《やづ》であった。某年《あるとし》の十二月二十日|比《ごろ》、私は伊豆《いず》の下田《しもだ》へ遊びに往ったついでに、その谷津へ往ったことがあった。
 谷津には温泉があった。私は下田からの乗合自動車に乗った。その途中には共産村として有名な白浜村《しらはまむら》などがあった。
 河津川の口で自動車をおりて、川土手をすこし往くとすぐ谷津であった。その付近は昔の河津の荘《そう》で、曾我物語《そがものがたり》に縁古のある土地であった。路の左側に石の華表《とりい》のある社は、河津八幡宮《かわづはちまんぐう》で、元の祭神は天児屋根命《あまこやねのみこと》であったが、後に河津|三郎祐泰《さぶろうすけやす》及びその子の祐成《すけなり》、時致《ときむね》の三人を合祀《ごうし》したものであった。そこには館《たち》の内《うち》と云う小字があって、祐泰の宅趾《やしきあと》と云われ、祐泰の力持をしたと云う石もあった。
 ちょうど午《ひる》で、私は温泉宿に入って、一ふろあびて一ぱいやるつもりをしていたが、さて何処《どこ》へ往っていいのか見当がつかない。何人《たれ》かによさそうな家《うち》を聞いてはいろうと思っていると、温泉宿の婢《じょちゅう》らしい女が前を往くので、
「もし、もし」
 と云って呼びとめ、
「このあたりで、何という家がいいのでしょう」
 と云うと、女は、
「さあ、何処がいいでしょうね」
 と云った。私は女が己《じぶん》の家をほめることも出来ないが、それかと云って他へ客をやりたくもないと云う気もちでいることを知った。そこで私は、
「姐《ねえ》さんの家《うち》は、何処《どこ》だね」
 と云うと、女は、
「中津屋《なかつや》でございます」
 と云った。私はさっそく中津屋へ往くことにして女に跟《つ》いて往った。「やつがはし」とした小溝《こどぶ》にかけた橋を右にして、新道を折れると温泉街であった。
 私は中津屋へ入って、まず温泉に入り、それから二階へあがって雑記帳を啓《あ》けていると、彼《か》の女《おんな》が来て、
「御飯はどういたしましょう」
 と云った。私は飯の注文をして、
「ついでに一本持って来てもらおうか」
 と云った。
 すると女はにやりと笑った。
「お気のどくですが、来宮様のお祭でございますから、旦那は御存じでしょう」
 と云った。私は何も知らないので、
「何も知らないが、来宮様のお祭って、なんだい」
 と云うと、女はまたにやりと笑って、
「御存じでしょう、旦那は」
 と云って、私がしらばくれているような云い方をするので、
「知るものか。なんだい、来宮様がなんだい」
 と云うと、女ははじめて私が何も知らないことを知ったのか、
「御存じないですか。来宮様は、お酒が好きで、酒を飲んで、寝ておりますと、火事になって、火が華表《とりい》の傍まで燃えて来ても眼が覚めんものですから、鳥が来て起してくれましたが、起きられないで、火傷《やけど》をしましたから、それで、暮れの十七日の夜の十二時から、むこう一週間、酒を飲まんことになっております」
 と笑い笑い云った。
「そうかい、そいつはいかんな」
「お気のどくですが、それで、来宮様のお祭には、この土地では、一切酒を飲まないことになっておりますから」
「それじゃ、酒がなくてはいられない者は、どうするのだ」
「その方は、他の村へ往くのですよ」
「そうか、それじゃだめだね、今日は」
「お気のどくですが」
 一ぱいやろうと思って楽しみにしていた私も、あきらめるより他にしかたがなかった。
「それじゃ、しかたがない、飯だけ」と云ってから、「しかし、これが
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