じょちゅう》らしい女が前を往くので、
「もし、もし」
 と云って呼びとめ、
「このあたりで、何という家がいいのでしょう」
 と云うと、女は、
「さあ、何処がいいでしょうね」
 と云った。私は女が己《じぶん》の家をほめることも出来ないが、それかと云って他へ客をやりたくもないと云う気もちでいることを知った。そこで私は、
「姐《ねえ》さんの家《うち》は、何処《どこ》だね」
 と云うと、女は、
「中津屋《なかつや》でございます」
 と云った。私はさっそく中津屋へ往くことにして女に跟《つ》いて往った。「やつがはし」とした小溝《こどぶ》にかけた橋を右にして、新道を折れると温泉街であった。
 私は中津屋へ入って、まず温泉に入り、それから二階へあがって雑記帳を啓《あ》けていると、彼《か》の女《おんな》が来て、
「御飯はどういたしましょう」
 と云った。私は飯の注文をして、
「ついでに一本持って来てもらおうか」
 と云った。
 すると女はにやりと笑った。
「お気のどくですが、来宮様のお祭でございますから、旦那は御存じでしょう」
 と云った。私は何も知らないので、
「何も知らないが、来宮様のお祭って、なんだい」
 と云うと、女はまたにやりと笑って、
「御存じでしょう、旦那は」
 と云って、私がしらばくれているような云い方をするので、
「知るものか。なんだい、来宮様がなんだい」
 と云うと、女ははじめて私が何も知らないことを知ったのか、
「御存じないですか。来宮様は、お酒が好きで、酒を飲んで、寝ておりますと、火事になって、火が華表《とりい》の傍まで燃えて来ても眼が覚めんものですから、鳥が来て起してくれましたが、起きられないで、火傷《やけど》をしましたから、それで、暮れの十七日の夜の十二時から、むこう一週間、酒を飲まんことになっております」
 と笑い笑い云った。
「そうかい、そいつはいかんな」
「お気のどくですが、それで、来宮様のお祭には、この土地では、一切酒を飲まないことになっておりますから」
「それじゃ、酒がなくてはいられない者は、どうするのだ」
「その方は、他の村へ往くのですよ」
「そうか、それじゃだめだね、今日は」
「お気のどくですが」
 一ぱいやろうと思って楽しみにしていた私も、あきらめるより他にしかたがなかった。
「それじゃ、しかたがない、飯だけ」と云ってから、「しかし、これが
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