の壁などが彼にいい気もちを起さした。
「御主人は、こちらにおいでなさいます」
 女は扉を開けた。道度はきまりが悪いのでもじもじしながら入った。
 室《へや》の真中には、体のほっそりした綺麗に着飾った女が牀《しょうぎ》に腰を掛けていた。室の隅ずみには雲母《きらら》の衝立がぎらぎら光っていた。道度は遠くの方からおじぎをした。
「この方が、今、お願いした、書生さんでございます」
 女はこう言って主婦に紹介した。
「さあ、どうぞ、この家は私一人でございますから、御遠慮なさることはございません、そこへお掛けくださいまし、すぐ何か造《こしら》えさしますから」
 主婦はちょっと腰を浮かして、自個《じぶん》の前の牀へ指をさした。
「は、私は隴西の者で、辛道度と申します、こうして、遊学しておりますが、路用が乏しいものですから、皆様に御厄介になっております、突然あがりまして恐縮します」
 道度はまぶしいような顔をして立った。
「そのことは、もう、これから伺っております」
 と、言って主婦は女の方をちらと見た。
「さあ、そこへお掛けくださいまし」
 道度はやっと主婦の前へ往って腰を掛けた。それを見ると女は出て往った。
「私も一人で、淋しくて困っておるところでございます、御迷惑でも、面白いお話を聞かせて戴きましょう」
 道度は息詰るような気がして顔をまっすぐにすることができなかったが、しだいにくつろぎを感じてきた。主婦は白いすき透るような顔へうっすらと頬紅をさしていた。
「そうしてお歩きになっておりますと、ずいぶん面白いこともございましょう」
 綺麗な主婦はすこしの隔《へだ》ても置かずに道度の相手になった。柔かな婦人の言葉は若い男の耳に心好い響を伝えた。
「私ほど不幸な者は他にありませんよ」
 主婦はこんなことも言って笑顔をした。
 そこへ二人の女が食膳を運んできた。主婦は室の東側になった卓の上へそれを置かした。
「何もありませんが、召しあがってくださいまし」
 主婦はその方へ指をさした。道度は親類の家の食膳でもあるかのように遠慮せずにそこへ往った。香りのいい酒も添えてあった。
 道度は酒を飲み肉を喫《く》った。二人の女が傍にいて給仕をした。女の顔には笑いが漂うていた。道度はもうすっかり寛いで、持ち前の男らしさを見せていた。

 道度は主婦と並んで腰を掛けていた。燈火の光が室の中を紅く染め
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