のうえは霊験のあらたかな神にすがるより他に途《みち》が無いと思った甚六は、その翌日柳津と云う処へ往って其処の鎮守に祈願を籠め、岩坂と云う処まで帰って来た時には、もう夕方になっていたので、甚六は其処で夕飯をすまして帰るつもりで一軒の旅籠屋を見つけて入って往った。
そして、暫く待っていると主翁《ていしゅ》が二人分の膳を持って来た。甚六は不審に思って、
「俺は一人じゃ、膳は二ついらないよ」と云うと、主翁は不審そうに室《へや》の内を見廻して、
「今、お前さんの後から、十二三に見える痩せた女の子が入って来て、私《わし》は今の客といっしょじゃと云うて、此処へ入りましたが、それじゃ、今の女の子はどうした者だろう」
甚六は頭がじゃんと鳴るような気がしたが、それとは口に出して云えないので、
「さあ、どうした者だろう」と、とぼけて云った。
「たしかに入りましたよ、蔦のような紋のついた古い浴衣を着て、髪も結わずに汚らしく垂らしておりました」
主翁は不審が晴れないので、起って往って障子の外の縁側を見たりした。
甚六は蒼い顔をして坐っていた。彼は箸をとる気にもなれなかった。そして、恐る恐る背後《うしろ》の方を見たりした。
「おかしいなあ、たしかに蔦のような紋のついた古い浴衣を着ていたが……」と、云いながら主翁は障子を閉めて甚六の前へ来たが、ふと甚六の蒼い顔を見つけて、「おかしいなあ」と、云い云い室を出て往った。
甚六はその後でしかたなしに箸を持ったが、背筋のあたりに悪感がして、口に入れたものは木屑か何かをたべているようで何の味もなかった。彼はそこそこに箸を置いた。そして、急いで帰ろうと思ってふと見ると、何時の間にか日が入って室の中が微暗くなっていた。岩坂から己《じぶん》の家まで二里位であるから、少し夜道をすれば帰れるが、この比《ごろ》のように怪異がありつづけては、途中でどんなことが起るかも判らないと思うと、さすがの甚六も夜道をする気になれないので、其処に一泊することにした。
甚六はその一夜が恐ろしく長かった。彼は何か怪しいことが起りはしないかと、心配しながら時どき眼を開けて、枕頭の微暗い有明の行灯の灯を見たが、その夜は別に怪しいこともなかった。
甚六は神様への祈願が次第に利いて来たのだと思った。そして、朝早く岩坂を出て帰りかけたが、坂下と云う小村まで来ると咽喉が乾いて来た。何処
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング