ですよ、」
「赤ん坊を見に来たんですつて、誰にことわつて、寝てゐる所へ這入つて来たんです、失礼ぢやありませんか、早く出て行つて下さい、」
と云つて赤ん坊の泣くのも構はずに後ろを向いて、
「早く起きて下さい、大変です、大変です、」
男が吃驚して跳び起きた。京子もその音に吃驚した。そして彼の気は遠くなつた。
京子は朝飯の給仕をしてゐた。日比谷にある中学校へ行つてゐる夫は背広の間服を着て胡坐をかいてゐた。夫が好きで毎朝の味噌汁に入れることになつてゐるわかめ[#「わかめ」に傍点]の香がほんのりとしてゐた。京子はそれが鼻に泌み込むやうに思つて仕方がなかつた。どうした連想であつたのか彼はふと海岸の家のことを思ひ出した。
「昨夜、面白いことがあつたんですよ、」
「どうした、」
夫は軽い好奇心を動かしたやうであつた。
「昨夜海岸の砂丘をおりて行くと、ちひさな川があつて、それに板橋が架つてゐるんですよ、その橋を渡ると、向ふに小石を敷いた広い通りがあつて、その通りに沿うて二三軒の家があるぢやありませんか、私はくたびれたから、ちよつと休まうと思つて、船板の門をした家へづんづん這入つて行くと、玄関が
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