つて云つた。
「さうです、ずつと廻つてここへ来るんですから、十町以上もありまさア、」
 俥屋はトランクの肩を換へて片手にした手拭で顔の汗を拭いた。夫は橋を渡つて行つた。水の中には短い葦が一面に生えてゐた。路の向ふにはすこし高まつた松林の丘があつて其所に三軒ばかり別荘風の家があつた。
 京子は厭な顔をして橋の向ふのとつつきにある家を見直した。
「あなた、あなた、」
 京子は夫に声をかけた。彼女は橋を渡つて行つた。路の上へあがつた夫は彼の方を向いた。
「何だね、」
「いつかの家ね、この家のやうよ、」
 夫には合点がゆかなかつた。
「家つて何んだね、」
「あの夢の家ですよ、」
 京子の声は震ひを帯びてゐた。夫はその方へ眼をやつた。竹垣を結ふた船板の門の扉が閉まつた家が眼に付いた。夫は笑ひだした。
「そんな馬鹿なことがあるもんか、」
「でも、さうですよ、小松の生えた丘の具合から、この板橋の具合まで、そつくりですよ、だから見覚があると私が云つたんですよ、」
「そんなことは無いさ、無いが、門が閉まつて空家らしいね、空家なら借りたいもんだが、」
 トランクを担いだ車夫がやつて来た。
「俥屋さん、この
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