濟むと、何もかも莫迦臭くなる。去年の秋の末に、福富が轉任して來てからは、餘り煩悶もしないやうになつた。
 學生は、甲田が中學出と聞いて、グッと心易くなつた樣子である。そして、
『君、濟まないがその煙草を一服|喫《の》ましてくれ給へ。僕は昨日から喫《の》まないんだから。』と言つた。
 學生は、甲田の渡した煙管《きせる》を受取つて、うまさうに何服も喫んだ。甲田は默つてそれを見てゐて、もう此學生と話してるのが嫌になつた。斯うしてるうちに福富が歸つて了ふかも知れぬと思つた。すると學生は、
『僕も今日のうちに○○市まで行く積りなんだが、行けるだらうかねえ、君』と言つた。
『行けない事もないでせう。』と、甲田はそつけなく言つた。學生はその顏を見てゐた。『何里あります?』
『五里。』
『まだそんなにあるかなア。』と言つて、學生は嘆息した。そして又、急がしさうに煙草を喫《の》んだ。甲田は默つてゐた。
 稍あつて學生は決心したやうに首をあげて、『君、誠に濟まないが、いくらか僕に金を貸してくれませんか? 郷里へ着いたら、何とかして是非返します、僕は今一圓だけ持つてるんだけれど、これは郷里へ着くまで成るべく
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