ゞ》、『貴方《あんた》』と言つたのが、『君』に變つてゐた。
『さうです。』と答へて、甲田は對手の無遠慮な物言ひを不愉快に思つた。そして、自分がこんな田舍で代用教員などをしてるのを恥づる心が起つた。同樣に、煙草が無くて手の遣り場に困る事に氣が附いた。
『あ、煙草を忘れて來た。』と獨言《ひとりごと》をした。そして立つて職員室に來てみると、福富は、
『誰か來たんですか?』と低聲に訊いた。
『乞食です。』
『乞食がどうしたんです?』
『一寸休まして呉れと言ふんです。』
 福富は腑に落ちない顏をして甲田を見た。此學校では平常《ふだん》乞食などは餘り寄せつけない事にしてあるのである。甲田は、煙草入と煙管を持つて、また小使室に來た。そして今度は此方から訊いた。
『何處から來たんですか?』
『××からです。』と北方四十里許りにある繁華な町の名を答へた。
 そして、俄かに思ひ出したやうに、
『初めて乞食をして歩いてみると、却々《なか/\》辛いものですなア。』と言つた。
 甲田は先刻《さつき》から白い小倉のズボンに目を附けて、若しや窮迫した學生などではあるまいかと疑つて居た。何だか此男と話して見たいやうな氣持もあつた。が又、話さなくても可いやうにも思つて居た。すると男は、一刻も早く自分が普通の乞食でないのを明《あきら》かにしようとするやうに、
『僕は××の中學の三年級です。今|郷里《くに》へ歸るところなんです。金がないから乞食をして歸るつもりなんです。郷里は水戸です――水戸から七里許りあるところです。』
と言つた。
 甲田は、此男は嘘を言つてるのではないと思うた。ただ、水戸のものが××の中學に入つてるのは隨分方角違ひだと思つた。それを聞くのも面倒臭いと思つた。そして斯う言つた。
『何故歸るんです?』
『父《おやぢ》が死んだんです。』學生は眞面目な顏をした。『僕は今迄自活して苦學をして來たんですがねえ。』
 甲田は、自分も父が死んだ爲めに、東京から歸つて來た事を思ひ出した。
『何時死んだんです?』
『一月許り前ださうです。僕は去年××へ來てから、郷里《くに》へ居所《ゐどころ》を知らせて置かなかつたんです。まさか今頃|父《おやぢ》が死なうとは思ひませんでしたからねえ。だもんだから、東京の方を方々聞合して、此間《こないだ》やう/\手紙を寄越したんです。僕が歸らなければ母も死ぬんです。これから
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング