身体にも坐りがついて、先刻の事を考へると、我ながら滑稽《をかし》くなつて遂口に出して笑つて見る。手を叩いて更に「天麩羅二つ」と吩咐《いひつ》けた。
それも平らげて了ふと、まだ何か喰ひたい様だけれど、モウ腹が大分張つて来たので、止めた。と、眠気が催すまでに悪落着がして来て、悠然《ゆつたり》と改めて室の中を見廻したが、「敷島」と「朝日」と交代に頻《しきり》に喫ひながら、遂々《たうたう》ゴロリと横になつた。それでも、階段に女中の足音がする度、起直つて知らん振をして居たが、恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》具合にして渠は、階下《した》の時計が十時を打つまで、随分長い間此処に過した。一度、手も拍たぬのに女中が来て、「お呼びで厶いますか?」と襖を開けたが、それはモウ帰つて呉れと云ふ謎だと気が付いたけれど、悠然と落着いて了つた渠の心は、それしきの事で動くものでない。
恁許《かばか》り悠然した心地は渠の平生に全くない事であつた。顔には例の痙攣も起つて居ない。物事が凡て無造作で、心配一つあるでなく、善とか悪とか云ふ事も全く脳裡《あたま》から消え
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