のが目に附く。明るい洋燈の光りと烈しい気象の輝く竹山の眼とが、何といふ事もなしに渠の心を狼狽《うろたへ》させた。
『頭痛が癒りましたか?』と竹山に云はれた時、その事はモウ全然忘れて居たので、少なからず周章《どぎまぎ》したが、それでも流石、
『ハア、頭ですか? イヤ今日は怎も失礼しました。あれから向うの共立病院へ来て一寸診て貰ひましたがねす。ナニ何でもない、酒でも飲めば癒るさツて云ふもんですから、宿へ帰つて今迄寝て来ました。主婦《おかみ》の奴が玉子酒を拵《こしら》へてくれたもんですから、それ飲んで寝たら少し汗が出ましたねす。まだ底の方が些《ちよつ》と痛みますどもねす。』と云つて、「朝日」を取出した。『少し聞込んだ事があつたんで、今廻つて探つて見ましたが、ナーニ嘘でしたねす。』
『然うかえ、でもマア悠乎《ゆつくり》寝《やす》んでれば可かつたのに、御苦労でしたな。』
『小宮といふ洋服屋がありますねす。』と云つて、野村は鋭どい眼でチラリと竹山の顔を見たが、『彼家《あそこ》で去年の暮に東京から呼んだ職人が、肋膜に罹《かか》つて遂に此間死にましたがねす。それを其、小宮の嬶が、病気してゝ稼がないので、ウント虐待したッて噂があつたんですから、行つて見ましたがねす。』
『成程。』と云つたが、竹山は平日《いつも》の様に念を入れて聞く風でもなかつた。
『ナーニ、恰度アノ隣の理髪店《とこや》の嬶が、小宮の嬶と仲が悪いので、其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]事を云ひ触らしたに過ぎなかつたですよ。』と云つて、軽く「ハッハハ。」と笑つたが、其実渠は其噂を材料《たね》に、幸ひ小宮の家は一寸有福でもあり「少くも五円」には仕ようと思つて、昨日も一度押かけて行つたが、亭主が留守といふので駄目、先刻《さつき》再《また》行つて、矢張亭主は居ないと云つたが、嬶の奴頻りに其を弁解してから、何れ又|夫《やど》がお目にかゝつて詳しく申上げるでせうけれどもと云つて、一円五十銭の紙包を出したのだ。
これと云ふ話も出なかつたが、渠は頻りに「ねす」を振廻はして居た。一体渠は同じ岩手県でも南の方の一関近い生れで、竹山は盛岡よりも北の方に育つたから、南部藩と仙台藩の区別《ちがひ》が言葉の調子にも明白《あきらか》で、少しも似通つた所がないけれども、同県人といふ感じが渠をしてよく国訛
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