糧を争ふ十万の市民の、我を忘れた血声の喧囂《さけび》さへ、浪の響に消されてか、敢て此処までは伝はツて来ぬ。――これ然し、怪むべきでないかも知れぬ、自然の大なる声に呑まれてゆく人の声の果敢《はか》なさを思へば。
 浪打際に三人の男が居る。男共の背後《うしろ》には、腐《あざ》れた象の皮を被ツた様な、傾斜の緩い砂山が、恰《あたか》も「俺が生きて居るか、死んで居るか、誰も知るまい、俺も知らぬ。」と云ふ様に、唯無感覚に横はツて居る。無感覚に投げ出した砂山の足を、浪は白歯をむいて撓まず噛んで居る。幾何《いくら》噛まれても、砂山は痛いとも云はぬ、動きもせぬ。痛いとも云はず、動きもせぬが、浪は矢張根気よく撓まず噛んで懸《かか》る。太初《はじめ》から「生命」を知らぬ砂山と、無窮に醒めて眠らぬ潮騒《しほざゐ》の海との間に、三人の――生れたり死んだりする三人の男が居る。インバネスを着て、薄鼠色の中折を左の手に持ツて、螽《ばつた》の如く蹲《しやが》んで居る男と、大分埃を吸ツた古洋服の釦は皆|脱《はづ》して、蟇《ひき》の如く胡坐《あぐら》をかいた男とは、少し間を隔てて、共に海に向ツて居る。褶《しわ》くちやになツた大島染の袷を着た、モ一人の男は、両手を枕に、足は海の方へ投げ出して、不作法にも二人の中央《まんなか》に仰向になツて臥て居る。
 千里万里の沖から吹いて来て、この、扮装《なり》も違へば姿態《ふり》も違ふ三人を、皆一様に吹きつける海の風には、色もなければ、心もない。風は風で、勝手に吹く。人間は人間で、勝手なことを考へる。同じ人間で、風に吹かれ乍ら、三人は又三人で、勝手な所を見て勝手なことを考へて居る。
 仰向の男は、空一面に彌漫《はびこ》つて動かぬ灰雲の真中を、黙つて瞶《みつ》[#ルビの「みつ」は底本では「みつめ」]めて居る。螽の如く蹲んだ男は、平たい顔を俯向《うつむ》けて、右手《みぎ》の食指《ひとさし》で砂の上に字を書いて居る――「忠志《ただし》」と書いて居る。書いては消し、消しては復《また》同じ字を書いて居る。忠志といふのは此男の名である。何遍も消しては、何遍も書く。用の少い官吏とか会社員とかが、仕様事なしの暇つぶしに、よく行《や》る奴で、恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》事をする男は、大抵弾力のない思想を有《も》ツて居るものだ
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