右手を延して砂の上の紙莨《タバコ》を取ツたが、直ぐまた投げる。『這※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》社会だから、赤裸々な、堂々たる、小児《せうに》の心を持ツた、声の太い人間が出て来ると、鼠賊共、大騒ぎだい。そこで其種の声の太い人間は、鼠賊と一緒になツて、大笊を抱へて夜中に林檎畑に忍ぶことが出来ぬから、勢ひ吾輩の如く、天が下に家の無い、否《いや》、天下を家とする浪人になる。浪人といふと、チヨン髷頭やブツサキ羽織を連想して不可《いかん》が、放浪の民だね、世界の平民だね、――名は幾何《いくら》でもつく、地上の遊星といふ事も出来る。道なき道を歩む人とも云へる、コスモポリタンの徒と呼んで見るも可《いい》。ハ………。』
『そこでだ、若し後藤肇の行動が、後前《あとさき》見ずの乱暴で、其乱暴が生得《うまれつき》で、そして、果して真に困ツ了《ちま》ふものならばだね、忠志君の鼠賊根性は怎《どう》だ。矢張それも生得で、そして、ウー、そして、甚だ困つて了はぬものぢやないか。怎だい。従兄弟君、怒ツたのかい。』
『怒ツたツて仕様が無い。』と、稍|霎時《しばらく》してから、忠志君が横向いて云ツた。
『「仕様が無い」とは仕様が無い。それこそ仕様が無いぢやないか。』
『だツて、実際仕様が無いから喃《なあ》。』
『然し君は大分苦い顔をして居るぜ。一体その顔は不可《いけない》よ。笑ふなら腸《はらわた》まで見える様に口をあかなくちや不可《いかん》。怒るなら男らしく真赤になツて怒るさ。そんな顔付は側《はた》で見てるさへ気の毒だ。そら、そら、段々苦くなツてくる。宛然《まるで》洋盃《コツプ》に一昨日《をととひ》注いだビールの様だ。仕様のない顔だよ。』
『馬鹿な。君は怎《どう》[#「怎《どう》」は底本では「恁《どう》」]も、実際仕様がない。』
『復「仕様がない」か。アハヽヽヽ。仕様がない喃《なあ》。』
 話が間断《とぎ》れると、ザザーツといふ浪の音が、急に高くなる。楠野君は、二人の諍《あらそ》ひを聞くでもなく、聞かぬでもなく、横になツた儘で、紙莨を吹かし乍ら、浪の穂頭を見渡して居る。鼻から出る煙は、一寸許りのところで、チヨイと渦を巻いて、忽ち海風に散ツてゆく。浪は相不変、活動写真の舞踏《ダンス》の歩調《あしどり》で、重《かさな》り重り沖から寄せて来ては、雪の舌
前へ 次へ
全17ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング