い喃《なあ》』
話が途斷《とぎ》れると、ザザーッといふ浪の音が、急に高くなる。楠野君は、二人の諍《あらそ》ひを聞くでもなく聞かぬでもなく、横になつた儘で、紙莨を吹かし乍ら、浪の穗頭を見渡して居る。鼻から出る煙は、一寸ばかりのところで、チョイと渦《うづ》を卷いて、忽ち海風に散つてゆく、浪は相不變《あひかわらず》、活動寫眞の舞踊《ダンス》の歩調《あしどり》で、重《かさな》り重り沖から寄せて來ては、雪の舌を銀の齒車の樣にグルグルと卷いて、ザザーッと怒《ど》鳴り散らして颯と退《ひ》く、退いた跡には、シーッと音して、潮の氣《け》がえならぬ強い薫を撒く。
二
程經てから、『折角の日曜だツたのに……』と口の中で呟《つぶや》いて、忠志《ただし》君は時計を出して見た。『兎に角僕はお先に失敬します。』と楠野《くすの》君の顏色を覗《うかゞ》ひ乍ら、インバネスの砂を拂つて立つ。
對手は唯『然《さ》うですか。』と謂ツただけで、別に引留めようともせぬので、彼は聊か心を安んじたらしく、曇つて日の見えぬ空を一寸|背身《そりみ》になツて見乍ら、『もう彼是十二時にも近いし、それに今朝|親父《おやぢ》
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