……………………今迄だつて一日も安心さした事つて無いんだ。君にや唯一人の御母さんぢやないか、此以後《このあと》一體|怎《どう》する積りなんだい。昨宵《ゆうべ》もね、母が僕に然《さう》云ふんだ。君が楠野さん所へ行つた後にだね、「肇さんももう廿三と云へや子供でもあるまいに姉さんが什※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《どんな》に心配してるんだか、眞實《ほんたう》に困つちまふ」つてね。實際困つちまふんだ。君自身ぢや痛快だつたつて云ふが、然し、免職になる樣な事を仕出《しで》かす者にや、まあ誰だつて同情せんよ。それで此方へ來るにしてもだ。何とか先に手紙でも來れや、職業《くち》の方だつて見付けるに都合が可《いゝ》んだ。昨日は實際僕|喫驚《びつくり》したぜ。何にも知らずに會社から歸つて見ると後藤の肇さんが來てるといふ。何しにつて聞くと、何しに來たのか解らないが、奧で晝寢をしてるつて、妹が君、眼を丸くして居たぜ。』
『彼※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《あんな》大きな眼を丸くしたら、顏一杯だつたらう。』
『君は何時も人の話を茶にする。』と忠志君は苦《にが》り切つた。『君は何時でも其調子だし、怎《どう》せ僕とは全然《まるつきり》性が合はないんだ。幾何《いくら》云つたつて無駄な事は解つてるんだが、伯母さんの……………………君の御母さんの事を思へばこそ、不要事《いらないこと》も云へば、不要《いらない》心配もするといふもんだ。母も云つたが、實際君と僕程性の違つたものは、マア滅多に無いね。』
『性が合はんでも、僕は君の從兄弟《いとこ》だよ。』
『だからさ、僕の從兄弟に君の樣な人があるとは、實に不思議だね。』
『僕は君よりズート以前からさう思つて居た。』
『實際不思議だよ。…………………』
『天下の奇蹟だね。』と嘴《くちばし》を容れて、古洋服の楠野君は横になつた。横になつて、砂についた片肱《かたひぢ》の、掌《たなごゝろ》の上に頭を載せて、寄せくる浪の穗頭を、ズット斜に見渡すと、其起伏の樣が又一段と面白い。頭を出したり隱したり、活動寫眞で見る舞踏《ダンス》の歩調《あしどり》の樣に追ひ越されたり、追越したり、段々近づいて來て、今にも我が身を洗ふかと思へば、牛の背に似た碧の小山の頂《いただき》が、ツイと一列《ひと
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