ンを以て任じた君が、月給八圓の代用教員になツたのでさへ一つの教訓だ。況《ま》してそれが、朝は未明から朝讀、夜は夜で十一時過ぎまでも小兒等と一緒に居て、出來るだけ多くの時間を小兒等のために費やすのが滿足だと謂ふのだから、宛然《さながら》僕の平生の理想が君によつて實行された樣な氣がしたよ。あれあ確か去年の秋の手紙だツたね。文句は僕がよく暗記して居る、そら、「僕は讀書を教へ、習字を教へ、算術を教へ、修身のお話もするが、然し僕の教へて居るのは蓋し之等ではないだらうと思はれる。何を教へて居るのか、自分にも明瞭《はつきり》解らぬ。解らぬが、然し何物かを教へて居る。朝起きるから夜枕につくまで、一生懸命になツて其何物かを教へて居る。」と書いてあつたね。それだ、それだ。完《ま》ツたくそれだ、其何物かだよ。』
『噫、君、僕は怎《どう》も樣々思出されるよ。……だが、何だらうね、僕の居たのは田舍だツたから多少我儘も通せたやうなものの、恁《かう》いふ都會めいた場所《ところ》では、矢張駄目だらうね。僕の一睨みですくんで了ふやうな校長も居まいからね。』
『駄目だ、實際駄目だよ。だから僕の所謂改造なんていふ漸進主義は、まだるツこくて效果《きゝめ》が無いのかも知れんね。僕も時々然思ふ事があるよ。「明朝午前八時を期し、予は一切の責任を負ふ決心にてストライキを斷行す。」といふ君の葉書を讀んだ時は、僕は君、躍り上ツたね。改造なんて駄目だ。破壞に限る。破壞した跡の燒野には、君、必ず新しい勢の可《い》い草が生えるよ。僕はね。宛然《まるで》自分が革命でも起した樣な氣で、大威張で局へ行ツて、「サカンニヤレ」といふ那《あ》の電報を打ツたんだ。』
肇さんは俯向いて居て、暫し默して居たが、
『ストライキか、アハヽヽヽ。』と突然大きな聲を出して笑つた。大きな聲ではあつたが、然し何處か淋しい聲であつた。
『昨夜君が歸ツてから、僕は怎《どう》しても眠れなかツた。』
と楠野君の聲は沈む。『一體村民の中に、一人でも君の心を解してる奴があツたのかい。』『不思議にも唯一人、君に話した役場の老助役よ。』
『血あり涙あるを口癖にいふ老壯士か。』
『然《さう》だ。僕が四月の初めに辭表を出した時、村教育の前途を奈何《いかん》と謂ツて、涙を揮ツて留めたのも彼。それならばといツて僕の提出した條件に、先づ第一に賛成したのも彼。其條件が遂に行はれ
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