、積極的である。都會に於ける田園思慕者に至つてはさうではない。彼等も嘗て一度は都會の思慕者であつたのである。さうして現在に於ては、彼等の思慕は、より惡き生活に墮ちた者が以前の状態に立歸らむとする思慕である。たとひその思慕が達せられたにしても、それが必ずしも眞の幸福ではないことを知つての上の思慕である。それだけたよりない思慕である。絶望的であり、消極的である。またそれだけ悲しみが深いのである。
 産業時代といはるる近代の文明は、日一日と都會と田園との間の溝渠を深くして來た。今も深くしてゐる。これからも益々深くするに違ひない。さうして田園にゐる人の都會思慕の情が日一日深くなり、都會に住む者の田園思慕の情も日一日深くなる。かかる矛盾はそも/\何處に根ざしてゐるか。かかる矛盾は遂には一切の人間をして思慕すべき何物をも有たぬ状態に歩み入らしめるやうなことはないだらうか。
 肺の組織の複雜になつた人達、官能のみひとり鋭敏になつた人達は、私が少年の如き心を以て田園を思慕するのを見て、「見よ、彼處にはあんな憐れな理想家がゐる。」と嗤《わら》ふかも知れない。嗤はれてもかまはない、私は私の思慕を棄てたくは
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