ゐる不可思議の一つである。彼等は皆一樣に、温かい田園思慕の情を抱いて冷たい都會の人情の中に死ぬ。さてその子になると、身みづからは見たことがないにしても、寢物語に聞かされた故郷の俤――山、河、高い空、廣々とした野、澄んだ空氣、新鮮な野菜、穀物の花及び其處に住まつてゐる素朴な人達の交はり――すべてそれらのうららかなイメエジは、恰度お伽噺の「幸の島」のやうに、過激なる生活に困憊した彼等の心を牽くに充分である。彼等も亦その父の死んだ如くに死ぬ。かくて更にその子、即ち悲しき移住者の第三代目になると、状態は餘程違つて來る。彼等と彼等の父祖の故郷との距離は、啻に空間に於てばかりでなく、また時間に於ても既に遙かに遠ざかつてゐる。のみならず、前二代に作用した進化の法則と、彼等が呱々の聲を擧げて以來絶間なく享けた教育とは、漸く彼等の肺の組織を複雜にし、彼等の官能を鋭敏ならしめてゐる。官能の鋭敏と徳性の痲痺とは都會生活の二大要素である。實に彼等は、思慕すべき田園を喪ふと同時にその美しき良心をも失つてゐるのである。思慕すべき田園ばかりでなく、思慕すべき一切を失つてゐるのである。かくてかくの如き彼等の生活の悲慘
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