私得《ほまち》に貰つてるので、それを売つたのやら何やらで、矢張九円近くも貯めてゐた。
東京に行けば、言ふまでもなく女中奉公をする考へなので、それが奈何《いか》に辛くとも野良稼ぎに比べたら、朝飯前の事ぢやないかとお八重が言つた。日本一の東京を見て、食はして貰つた上に月四円。此村あたりの娘には、これ程|好《うま》い話はない。二人は、白粉やら油やら元結やら、月々の入費を勘定して見たが、それは奈何《いか》に諸式の高い所にしても、月一円とは要らなかつた。毎月三円宛残して年に三十六円、三年辛抱するとすれば百円の余にもなる。帰りに半分だけ衣服や土産を買つて来ても、五十円の正金が持つて帰られる。
『末蔵が家《え》でや、唯《たつた》四十円で家屋敷白井様に取上げられたでねえすか。』とお八重が言つた。
『雖然《だども》なす、お八重さん、源助さん真《ほんと》に伴れてつて呉《け》えべすか?』とお定は心配相に訊く。
『伴れて行くともす。今朝誰も居ねえ時聞いて見たば、伴れてつても可《え》えつて居《え》たもの。』
『雖然《だども》、あの人《しと》だつて、お前達《めえだち》の親達《おやだち》さ、申訳なくなるべす。』
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