だす。』と言つて横を向くと、(此時寝返りしたのだらう。)和尚様が廻つて来て、髭の無い顎に手をやつて、丁度髯を撫で下げる様な具合にすると、赤い/\血の様な髭が、延びた/\、臍《へそ》のあたりまで延びた。そして、眼を皿の様に大きくして、『これでもか?』と、怒鳴つた。其時目が覚めた。
 お八重がこれを語り了つてから、二人は何だか気味が悪くなつて来て、暫時《しばらく》意味あり気に目と目を見合せてゐたが、何方《どちら》でも胸に思ふ事は口に出さなかつた。左《さ》う右《か》うしてるうちに、階下《した》では源助が大きな※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《あくび》をする声がして、軈《やが》てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた様な気色《けはひ》がしたので、二人も立つて帯を締めた。で、蒲団を畳まうとしたが、お八重は、
『お定さん、昨晩《ゆべな》持つて来た時、此蒲団どア表出して畳まさつてらけすか、裏出して畳まさつてらけすか?』と言ひ出した。
『さあ、何方《どつち》だたべす。』
『何方だたべな。』
『困つたなア。』
『困つたなす。』と、二人は暫時《しばし》、呆然《ぼんやり》立つて目を見合せてゐたが、
『表な樣だつけな。』とお八重。
『表だつたべすか。』
『そだつけぜ。』
『そだたべすか。』
 恁《か》くて二人は蒲団を畳んで、室の隅に積み重ねたが、恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》に早く階下《した》に行つて可いものか怎《どう》か解らぬ。怎しようと相談した結果、兎も角も少許《すこし》待つてみる事にして、室《へや》の中央《まんなか》に立つた儘|周囲《あたり》を見廻した。
『お定さん、細《ほせ》え柱だなす。』と大工の娘。奈何様《いかさま》、太い材木を不体裁に組立てた南部の田舎の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも揺れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える。
『真《ほん》にせえ。』とお定も言つた。
 で、昨晩《ゆふべ》見た階下《した》の様子を思出して見ても、此《この》室《へや》の畳の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の届く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不図、五尺の床の間にかけてある、縁日物の七福神の掛物を指して、
『あれ
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