で、父親に死なれて郷里《くに》に帰ると間もなく、目の見えぬ母とお吉と新太郎を連れて、些少《いささか》の家屋敷を売払ひ、東京に出たのであつた。其母親は去年の暮に死んで了つたので。
 お茶も出された。二人が見た事もないお菓子も出された。
 源助とお吉との会話が、今度死んだ函館の伯父の事、其葬式の事、後に残つた家族共の事に移ると、石の様に堅くなつてるので、お定が足に麻痺《しびれ》がきれて来て、膝頭が疼《うづ》く。泣きたくなるのを漸く辛抱して、凝《じつ》と畳の目を見てゐる辛さ。九時半頃になつて、漸々《やうやう》「疲れてゐるだらうから。」と、裏二階の六畳へ連れて行かれた。立つ時は足に感覚がなくなつてゐて、危く前に仆《のめ》らうとしたのを、これもフラフラしたお八重に抱きついて、互ひに辛さうな笑ひを洩らした。
 風呂敷包を持つて裏二階に上ると、お吉は二人前の蒲団を運んで来て、手早く延べて呉れた。そして狭い床の間に些《ちよつ》と腰掛けて、三言四言お愛想を言つて降りて行つた。
 二人|限《きり》になると、何れも吻《ほつ》と息を吐いて、今し方お吉の腰掛けた床の間に膝をすれ/\に腰掛けた。かくて十分許りの間、田舎言葉で密々《こそこそ》話し合つた。お土産を持つて来なかつた失策《てぬかり》は、お八重も矢張気がついてゐた。二人の話は、源助さんも親切だが、お吉も亦、気の隔《お》けぬ親切な人だといふ事に一致した。郷里の事は二人共何にも言はなかつた。
 訝《をか》しい事には、此時お定の方が多く語つた事で、阿婆摺《あばずれ》と謂はれた程のお八重は、始終受身に許りなつて口寡《くちすくな》にのみ応答してゐた。枕についたが、二人とも仲々眠られぬ。さればといつて、別に話すでもなく、細めた洋燈の光に、互に顔を見ては穏《おとな》しく微笑《ほほゑみ》を交換してゐた。

     八

 翌朝《あくるあさ》は、枕辺の障子が白み初めた許りの時に、お定が先づ目を覚ました。嗚呼東京に来たのだつけ、と思ふと、昨晩の足の麻痺《しびれ》が思出される。で、膝頭を伸ばしたり曲《かが》めたりして見たが、もう何ともない。階下《した》ではまだ起きた気色《けはひ》がない。世の中が森と沈まり返つてゐて、腕車《くるま》の上から見た雑踏が、何処かへ消えて了つた様な気もする。不図、もう水汲に行かねばならぬと考へたが、否《いや》、此処は東京だつたと思
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