ゝ》と幽かな音を立ててゐる。寢過しはしないかと狼狽《うろた》へて、すぐ寢床から飛起きたが、誰も起きた樣子がない。で、昨日まで着てゐた衣服《きもの》は手早く疊んで、萠黄の風呂敷包から、荒い縞の普通着《ふだんぎ》(郷里《くに》では無論普通に着なかつたが)を出して着換へた。帶も紫がかつた繻子ののは疊んで、幅狹い唐縮緬を締めた。
奧樣が起きて來る氣色がしたので、大急ぎに蒲團[#「蒲團」は底本では「薄團」]を押入に入れ、劃《しきり》の障子をあけると、『早いね。』と奧樣が聲をかけた。お定は臺所の板の間に膝をついてお叩頭《じぎ》をした。
それからお定は吩咐《いひつけ》に隨つて、焜爐《こんろ》に炭を入れて、石油を注いで火をおこしたり、縁側の雨戸を繰つたりしたが、
『まだ水を汲んでないぢやないか。』
と言はれて、臺所中見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]したけれども、手桶らしいものが無い。すると奧樣は、
『それ其處にバケツがあるよ。それ、それ、何處を見てるだらう、此人は。』と言つて、三和土《たゝき》になつた流場の隅を指した。お定は、指された物を自分で指して、叱られたと思つたから顏
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