》に、大丈夫氣をつけてさへ歩けば、何處まで行つたつて迷兒《まひご》になんかなりやしませんよ。角の勸工場と家の看板さへ知つてりや。』と言つたが、『それ、家の看板には恁う書いてあつたでせう。』と人差指で疊に『山田』と覺束なく書いて見せた。『やまだ[#「やまだ」に傍点]と讀むんですよ。』
 二人は稍得意な笑顏をして頷き合つた。何故なれば、二人共尋常科だけは卒へたのだから、山の字も田の字も知つてゐたからなので。
 それでも仲々|階下《した》にさへ降《お》り澁《しぶ》つて、二人限《きり》になれば何やら密々《ひそ/\》話合つては、袂を口にあてて聲立てずに笑つてゐたが、夕方近くなつてから、お八重の發起で街路へ出て見た。成程大きなペンキ塗の看板には『山田理髮店』と書いてあつて、花の樣なお菓子を飾つたお菓子屋と向ひあつてゐる。二人は右視左視《とみかうみ》して、此家忘れてなるものかと見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]してると、理髮店の店からは四人の職人が皆二人の方を見て笑つてゐた。二人は交る/\に振返つては、もう何間歩いたか胸で計算しながら、二町許りで本郷館の前まで來た。
 盛岡の肴町位
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