しく情が動いて、私が之程思つてるのにと思ふと、熱《あつた》かい涙が又しても枕を濡らした。これはお定の片思ひなので、否、實際はまだ思ふといふ程思つてるでもなく、藤田が四月に轉任して來て以來、唯途で逢つて叩頭《おじぎ》するのが嬉しかつた位で、遂十日許り前、朝草刈の歸りに、背負うた千草の中に、桔梗や女郎花が交つてゐたのを、村端《むらはづれ》で散歩してゐた藤田に二三本呉れぬかと言はれた、その時初めて言葉を交《かは》したに過ぎぬ。その翌朝からは、毎朝咲殘りの秋の花を一束宛、別に手に持つて來るけれども、藤田に逢ふ機會がなかつた。あの先生さへ優しくして呉れたら、何も私は東京などへ行きもしないのに、と考へても見たが、又、今の身分ぢや兎ても先生のお細君《かみ》さんなどに成れぬから、矢張三年行つて來るのが第一だとも考へる。
四晩に一度は屹度《きつと》忍《しの》んで寢に來る丑之助――兼大工の弟子で、男振りもよく、年こそまだ二十三だが、若者中で一番幅の利く――の事も、無論考へられた。恁《かゝ》る田舍の習慣で、若い男は、忍んで行く女の數の多いのを誇りにし、娘共も亦、口に出していふ事は無いけれ共、通つて來る男の
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