だつけおんす。』と甘える樣な口調。
『家《え》の方のすか?』
『家の方のす。ああ、可怖《おつかな》がつた。』と、お定の膝に投げる樣に身を恁《もた》せて、片手を肩にかけた。
 其夢といふのは恁《か》うで。――村で誰か死んだ。誰が死んだのか解らぬが、何でも老人だつた樣だ。そして其葬式が村役場から出た。男も女も、村中の人が皆野送の列に加つたが、巡査が劍の柄に手をかけながら、『物を言ふな、物を言ふな。』と言つてゐた。北の村端から東に折れると、一町半の寺道、其半ば位まで行つた時には、野送の人が男許り、然も皆洋服を着[#「着」は底本では「來」]たり紋付を着[#「着」は底本では「來」]たりして、立派な帽子を冠つた髭の生えた人達許りで、其中に自分だけが腕車の上に縛られてゆくのであつたが、甚※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《どんな》人が其腕車《くるま》を曳いたのか解らぬ。杉の木の下を通つて、寺の庭で三遍※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて、本堂に入ると、棺桶の中から何ともいへぬ綺麗な服裝をした、美しいお姫樣の樣な人が出て中央《まんなか》に坐つた。自分も男達と共に坐ると、『お前は女だから。』と言つて、ずっと前の方へ出された。見た事もない小僧達が奧の方から澤山出て來て、鐃《ねう》や太鼓を鳴らし始めた。それは喇叭節の節であつた。と、例《いつも》の和尚樣が拂子《ほつす》を持つて出て來て、綺麗なお姫樣の前へ行つて叩頭《おじぎ》をしたと思ふと、自分の方へ歩いて來た。高い足駄を穿いてゐる。そして自分の前に突つ立つて、『お八重、お前はあのお姫樣の代りにお墓に入るのだぞ。』と言つた。すると何時の間にか源助さんが側に來てゐて、自分の耳に口をあてて『厭だと言へ、厭だと言へ。』と教へて呉れた。で、『厭だす。』と言つて横を向くと、(此時寢返りしたのだらう。)和尚樣が※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて來て、鬚の無い顎に手をやつて、丁度鬚を撫で下げる樣な具合にすると、赤い/\血の樣な鬚が、延びた/\臍のあたりまで延びた。そして、眼を皿の樣に大きくして、『これでもか?』と怒鳴つた。其時目が覺めた。
 お八重がこれを語り終つてから、二人は何だか氣味が惡くなつて來て、暫時《しばらく》意味あり氣に目と目を見合せてゐたが、何方《どつち》でも胸に思ふ事は口に出さなかつた。左《さ》う右《か》うしてるうちに、階下《した》では源助が大きな※[#「※」は「口+愛」、第3水準1−15−23]《あくび》をする聲がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた樣な氣色《けはひ》がしたので、二人も立つて帶を締めた。で、蒲團を疊まうとしてが、お八重は、
『お定さん、昨晩《ゆべな》持つて來た時、此蒲團どア表《おもで》出して疊まさつてらけすか、裏出して疊まさつてらけすか?』と言ひ出した。
『さあ、何方《どつら》だたべす。』
『何方だたべな。』
『困つたなア。』
『困つたなす。』と、二人は暫時《しばらく》、呆然《ぼんやり》立つて目を見合せてゐたが、
『表なやうだつけな。』とお八重。
『表だつたべすか。』
『そだつけ。』
『そだたべすか。』
 軈て二人は蒲團を疊んで、室の隅に積み重ねたが、恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》に早く階下《した》に行つて可いものか怎《どう》か解らぬ。怎しよと相談した結果、兎も角も少し待つて見る事にして、室の中央《まんなか》に立つた儘|四邊《あたり》を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]した。
『お定さん、細え柱だなす。』と大工の娘。奈何樣《いかさま》、太い材木を不體裁に組立てた南部の田舍の家に育つた者の目には、東京の家は地震でも搖れたら危い位、柱でも鴨居でも細く見える。
『眞《ほん》にせえ。』とお定も言つた。
 で、昨晩《ゆうべ》見た階下の樣子を思出して見ても、此室の疊の古い事、壁紙の所々裂けた事、天井が手の屆く程低い事などを考へ合せて見ても、源助の家は、二人及び村の大抵の人の想像した如く、左程立派でなかつた。二人はまた其事を語つてゐたが、お八重が不圖、五尺の床の間にかけてある。縁日物の七福神の掛物を指さして、
『あれア何だか知《おべ》だ[#「だ」は底本では「た」]すか?』
『惠比須大黒だべす。』
 二人は床の間に腰掛けたが、
『お定さん、これア何だす?』と圖の人を指さす。
『槌持つてるもの、大黒樣だべアすか。』
『此方ア?』
『惠比須だす。』
『すたら、これア何だす?』
『布袋樣《ほていさま》す、腹ア出てるもの。あれ、忠太|老爺《おやぢ》に似たぜ。』と言ふや、二人は其忠太の恐ろしく肥つた腹を思出して、口に袂をあてた儘、暫しは子供の如く
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