手の畑へ、父と弟と三人で粟刈に行つた。それも午前には刈り了へて、弟と共に黒馬《あを》と栗毛の二頭で家の裏へ運んで了つた。
母は裏の物置の側に荒蓆を布いて、日向ぼツこをしながら、打殘しの麻絲を砧《う》つてゐる。三時頃には父も田※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りから歸つて來て、厩の前の乾秣《やた》場で、鼻唄ながらに鉈や鎌を研ぎ始めた。お定は唯もう氣がそは/\して、別に東京の事を思ふでもなく、明日の別れを悲むでもない、唯何といふ事なくそは/\してゐた。裁縫も手につかず、坐つても居られず、立つても居られぬ。
大工の家へ裏傳ひにゆくと、恰度お八重一人ゐた所であつたが、もう風呂敷包が二つ出來上つて、押入れの隅に隱したあつた。其處へ源助が來て、明後日の夕方までに盛岡の、停車場前の、松本といふ宿屋に着くから、其處へ訪ねて一緒になるといふ事に話をきめた。
それからお八重と二人家へ歸ると、父はもう鉈鎌を研ぎ上げたと見えて、薄暗い爐邊《ろばた》に一人踏込んで、莨を吹かしてゐる。
『父爺《おやぢ》や。』とお定は呼んだ。
『何しや?』
『明日《あした》盛岡さ行つても可えが?』
『お八重ツ子どがえ?』
『然《さ》うしや。』
『八幡樣のお祭禮《まつり》にや、まだ十日もあるべえどら。』
『八幡樣までにや、稻刈が始るべえな。』
『何しに行《え》ぐだあ?』
『お八重さんが千太郎さま宅《とこ》さ用あつて行くで、俺も伴《つ》れてぐ言ふでせア。』
『可《え》がべす、老爺《おやぢ》な。』とお八重も喙を容れた。
『小遣錢《こづけえ》あるがえ?』
『少許《すこし》だばあるども、呉《け》えらば呉《け》えで御座え。』
『まだお八重ツ子がら、御馳走《ごつちよう》になるべな。』
と言つて、定次郎は腹掛から五十錢銀貨一枚出して、上框《あがりがまち》に腰かけてゐるお定へ投げてよこした。
お八重はチラとお定の顏を見て、首尾よしと許り笑つたが、お定は父の露疑はぬ樣を見て、温《おとな》しい娘だけに胸が迫つた。さしぐんで來る涙を見せまいと、ツイと立つて裏口へ行つた。
五
夕方、一寸でも他所《よそ》ながら暇乞に、學校の藤田を訪ねようと思つたが、其暇もなく、農家の常とて夕餉は日が暮れてから濟ましたが、お定は明日着て行く衣服《きもの》を疊み直して置くと云つて、手ランプを持つた儘、寢室にしてゐる四疊半許りの板敷に入つた。間もなくお八重が訪ねて來て、さり氣ない顏をして入つたが、
『明日着て行ぐ衣服《きもの》すか?』と、態《わざ》と大きい聲で言つた。
『然うす。明日着て行ぐで、疊み直してるす。』と、お定も態《わざ》と高く答えて、二人目を見合せて笑つた。
お八重は、もう全然《すつかり》準備《したく》が出來たといふ事で、今其風呂敷包は三つとも持出して來たが、此家《こゝ》の入口の暗い土間に隱して置いて入つたと言ふ事であつた。で、お定も急がしく萠黄の大風呂敷を擴げて、手※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りの物を集め出したが、衣服といつても唯《たつた》六七枚、帶も二筋、娘心には色々と不滿があつて、この袷は少し老《ふ》けてゐるとか、此袖口が餘り開き過ぎてゐるとか、密《ひそ》々話に小一時間もかゝつて、漸々《やう/\》準備《したく》が出來た。
父も母もまだ爐邊《ろばた》に起きてるので、も少し待つてから持出さうと、お八重は言ひ出したが、お定は些《ち》と躊躇してから、立つと明《あかり》とりの煤けた櫺子《れんじ》に手をかけると、端の方三本許り、格子が何の事もなく取れた。それを見たお八重は、お定の肩を叩いて、
『この人《しと》アまあ、可え工夫してるごど。』と笑つた。お定も心持顏を赧くして笑つたが、風呂敷包は、難なく其處から戸外へ吊り下された。格子は元の通りに直された。
二人はそれから權作老爺の許へ行つて、二人前の風呂敷包を預けたが、戸外の冷やかな夜風が、耳を聾する許りな蟲の聲を漂はせて、今夜限り此生れ故郷を逃げ出すべき二人の娘にいう許りない心《うら》悲しい感情を起させた。所々降つて來さうな秋の星、八日許りの片割月が浮雲の端に澄み切つて、村は家並の屋根が黒く、中央程《なかほど》の郵便局の軒燈のみ淋しく遠く光つてゐる。二人は、何といふ事もなく、もう濕聲《うるみごゑ》になつて、片々に語りながら、他所ながらも家々に別れを告げようと、五六町しかない村を、南から北へ、北から南へ、幾度となく手を取合つて吟行《さまよ》うた。路で逢ふ人には、何日《いつ》になく忸々《なれ/\》しく此方《こつち》から優しい聲を懸けた。作右衛門店にも寄つて、お八重は※
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