讃めた。
お定はお八重の言ふが儘に、唯温しく返事をしてゐた。
その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々來られぬだらうから、よく見て行けと言ふので、毎日其お伴をした。
二人は又、お吉に伴れられて行つて、本郷館で些少な土産物をも買ひ整へた。
一一
お八重お定の二人が、郷里を出て十二日目の夕、忠太に伴れられて、上野のステイションから歸郷の途に就いた。
貫通車の三等室、東京以北の總有《あらゆる》國々の訛《なまり》を語る人々を、ぎつしりと詰めた中に、二人は相並んで、布袋の樣な腹をした忠太と向合つてゐた。長い/\プラットフォームに數限りなき掲燈《あかり》が晝の如く輝き初めた時、三人を乘せた列車が緩《ゆる》やかに動き出して、秋の夜の暗を北に一路、刻一刻東京を遠ざかつて行く。
お八重はいふ迄もなく、お定さへも此時は妙に淋しく名殘惜しくなつて、密々《こそ/\》と其事を語り合つてゐた。此日は二人共庇髮に結つてゐたが、お定の頭にはリボンが無かつた。
忠太は、棚の上の荷物を氣にして、時々其を見上げ見上げしながら、物珍し相に乘合の人々を、しげしげと見比べてゐたが、一時間許り經《た》つと少し身體を屈めて、
『尻《けつ》ア痛くなつて來た。』と呟やいた。『汝《うな》ア痛くねえが?』
『痛くねえす。』とお定は囁いたが、それでも忠太がまだ何か話欲しさうに屈《かゞ》んでるので、
『家《え》の方でヤ玉菜だの何ア大きくなつたべなす。』
『大きくなつたどもせえ。』と言つた忠太の聲が大きかつたので、周圍《あたり》の人は皆此方を見る。
『汝《うな》ア共ア逃げでがら、まだ二十日にも成んめえな。』
お定は顏を赤くしてチラと周圍を見たが、その儘返事もせず俯《うつむ》いて了つた。お八重は顏を蹙《しか》めて、忌々し氣に忠太を横目で見てゐた。
十時頃になると、車中の人は大抵こくり/\と居睡《ゐねむり》を始めた。忠太は思ふ樣腹を前に出して、グッと背後《うしろ》に凭《もた》れながら、口を開けて、時々鼾《いびき》をかいてゐる。お八重は身體を捻つて背中合せに腰掛けた商人體の若い男と、頭を押|接《つ》けた儘、眠つたのか眠らぬのか、凝《ぢつ》としてゐる。
窓の外は、機關車に惡い石炭を焚くので、雨の樣な火の子が横樣に、暗を縫うて後ろに飛ぶ。懷手をして圓い
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