村に舞込んだ。それが又、それ相應に一々文句が違つてると云ふので、人々は今更の樣に事々しく、渠の萬事に才が※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]つて、器用であつた事を語り合つた。其後も、月に一度、三月に二度と、一年半程の間は、誰へとも限らず、源助の音信があつたものだ。
 理髮店《とこや》の店は、其頃兎や角一人前になつたノロ勘が讓られたので、唯一軒しか無い僥倖《しあはせ》には、其間が抜けた無駄口に華客《おきやく》を減らす事もなく、かの凸凹の大きな姿見が、今猶人の顏を長く見せたり、扁《ひらた》く見せたりしてゐる。
 其源助さんが四年振で、突然|遣《や》つて來たといふのだから、もう殆ど忘れて了つてゐた村の人達が、男といはず女といはず、腰の曲つた老人や子供等まで、異樣に驚いて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つたのも無理はない。

      二

 それは盆が過ぎて二十日と經《た》たぬ頃の事であつた。午中《ひるなか》三時間許りの間は、夏の最中にも劣らぬ暑氣で、澄みきつた空からは習《そよ》との風も吹いて來ず、素足の娘共は、日に燒けた礫の熱いのを避けて、軒下の土の濕りを歩くのであるが、裏畑の梨の樹の下に落ちて死ぬ蝉の數と共に、秋の香が段々深くなつて行く。日出前の水汲に素袷の襟元寒く、夜は村を埋めて了ふ程の蟲の聲。田といふ田には稻の穗が、琥珀《こはく》色に寄せつ返しつ波打つてゐたが、然し、今年は例年よりも作が遙《ずつ》と劣つてゐると人々が呟《こぼ》しあつてゐた。
 春から、夏から、待ちに待つた陰暦の盂蘭盆《うらぼん》が來ると、村は若い男と若い女の村になる。三晩續けて徹夜《よどほし》に踊つても、猶踊り足らなくて、雨でも降れば格別、大抵二十日盆が過ぎるまでは、太鼓の音に村中の老人達が寢つかれぬと口説《くど》く。それが濟めば、苟くも病人不具者でない限り、男といふ男は一同|泊掛《とまりがけ》で東嶽に萩刈に行くので、娘共の心が譯もなくがつかりして、一年中の無聊を感ずるのは此時である。それも例年ならば、收穫後の嫁取婿取の噂に、嫉妬交りの話の種は盡きぬのであるけれども、今年の樣に作が惡くては、田畑が生命の百姓村の悲さに、これぞと氣の立つ話もない。其處へ源助さんが來た。
 突然四年振で來たといふ噂に驚いた人達は、更に其源助さんの服裝の立派なのに二度驚かされて了つた
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