遠くに離れてゐる様な心地でそれを見てゐた。
 と、赤児が稍大きい声で泣き出した。女は草の中から顔を擡げた。
『やあ、生きた/\。また生きたでア。』と喚《わ》めきながら、皆は豊吉を先立てゝ村の方に遁げ出した。私は怎したものか足が動かなかつた。
 醜い乞食の女は、流れた血を拭かうともせず、どんよりとした疲労の眼を怨し気に※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、唯一人残つた私の顔を凝《じつ》と瞶めた。私も瞶めた。其、埃と汗に塗れた顔を、傾きかけた夏の日が、強烈な光を投げて憚りもなく照らした。頬に流れて頸から胸に落ちた一筋の血が、いと生々しく目を射た。
 私は、目が眩《くるめ》いて四辺《あたり》が暗くなる様な気がすると、忽ち、いふべからざる寒さが体中を戦《をのの》かせた。皆から三十間も遅れて、私も村の方に駈け出した。
 然し私は、怎したものか先に駈けて行く子供等に追つかうとしなかつた。そして、二十間も駈けると、立止つて後を振返つた。乞食の女は、二尺の夏草に隠れて見えぬ。更に豊吉等の方を見ると、もう乞食の事は忘れたのか、声高に「吾は官軍」を歌つて駈けてゐた。
 私は其時、妙な心地を抱いてトボ/\と歩き出した。小い胸の中では、心にちらつく血の顔の幻を追ひながら、「先生は不具者《かたは》や乞食に悪口を利いては不可ないと言つたのに、豊吉は那※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《あんな》事をしたのだから、たとひ豊吉が一番で私が二番でも、私より豊吉の方が悪い人だ。」といふ様な事を考へてゐたのであつた。

 あはれ、其後の十幾年、私は村の小学校を最優等で卒《を》へると、高島先生の厚い情によつて、盛岡の市の高等小学校に学んだ。其処も首尾よく卒業して、県立の師範学校に入つたが、其夏父は肺を病んで死んだ。間もなく、母は隣村の実家に帰つた。半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねる的《あて》もない。
 私は二十歳の年に高等師範に進んで、六箇月前にそれも卒へた。卒業試験の少し前から出初めた悪性の咳が、日ましに募つて来て、此鎌倉の病院生活を始めてからも、既に四箇月余りを過ぎた。
 学窓の夕、病室の夜、言葉に文に友の情は沁み/″\と身に覚えた。然し私は、何故か多くの友の
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