たが、此時、『成るとも。成るとも。』と言つて皆を驚かした。私は顔を真赤にして矢庭に駈出して了つた。
 いくら子供でも、男と女は矢張男と女、学校で一緒に遊ぶ事などは殆んど無かつたが、夕方になると、家々の軒や破風に夕餉《ゆふげ》の煙の靉《たなび》く街道に出て、よく私共は宝奪ひや鬼ごツこをやつた。時とすると、それが男組と女組と一緒になる事があつて、其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]時は誰しも周囲《あたり》が暗くなつて了ふまで夢中になつて遊ぶのであるが、藤野さんが鬼になると、屹度私を目懸けて追つて来る。私はそれが嬉しかつた。奈何《どんな》に※[#「兀のにょうの形+王」、第3水準1−47−62]弱《かよわ》い体質でも、私は流石に男の児、藤野さんはキツと口を結んで敏く追つて来るけれど、容易に捉らない。終ひには息を切らして喘々《ぜいぜい》するのであるが、私は態《わざ》と捉まつてやつて可いのであるけれど、其処は子供心で、飽迄も/\身を翻して意地悪く遁げ廻る。それなのに、藤野さんは鬼ごツこの度、矢張私許り目懸けるのであつた。
 新家の家には、藤野さんと従兄弟同志の男の児が三人あつた。上の二人は四年と三年、末児はまだ学校に上らなかつたが、何れも余り成績が可《よ》くなく、同年輩の近江屋の児等と極く仲が悪かつたが、私の朧気《おぼろげ》に憶えてゐる所では、藤野さんもよく二人の上の児に苛責《いぢめ》られてゐた様であつた。何日か何処かで叩かれてゐるのを見た事もある様だが、それは明瞭《はつきり》しない。唯一度私が小さい桶を担いで、新家の裏の井戸に水汲に行くと、恰度其処の裏門の柱に藤野さんが倚懸《よりかか》つてゐて、一人|潸々《さめざめ》泣いてゐた。怎したのだと私は言葉をかけたが、返事はしないで長い袂の端を前歯で噛んでゐた。さうなると、私は性質としてもう何も言へなくなるので、自分まで妙に涙ぐまれる様な気がして来て、黙つて大柄杓で水を汲んだが、桶を担いで歩き出すと、『新太郎さん。』と呼止められた。
『何す?』
『好い物見せるから。』
『何だす?』
『これ。』と言つて、袂の中から丁寧に、美しい花簪《はなかんざし》を出して見せた。
『綺麗だなす。』
『……………。』
『買つたのすか?』
 藤野さんは頭を振る。
『貰つたのすか?』
『阿母《おつか》さんから。』と
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