一町程先の、水車小屋へ曲る路の角から、金次といふ近江屋の若者が、血相變へて駈けて來た。
『何しただ?』と誰やら聲をかけると、
『藤野樣ア水車の心棒に捲かれて、杵に搗かれただ。』と大聲に喚《わめ》いた。私は僞とも眞《ほんと》とも解らず、唯強い電氣にでも打たれた樣に、思はず聲を立てて『やあ』と叫んだ。
と、其若者の二十間許り後から、身體中眞白に米の粉を浴びた、髯面の骨格の逞ましい、六尺許りの米搗男が、何やら小脇に抱へ込んで、これも疾風の如くに駈けて來た。見るとそれは藤野さんではないか!
其男が新家の門まで來て、中に入らうとすると、先に知らせに來た若者と、肌脱ぎした儘の新家の旦那とが飛んで出て來て、『醫者へ、醫者へ。』と叫んだ。男は些《ちよ》と足淀《あしよどみ》して、直ぐまた私の立つてゐる前を醫者の方へ駈け出した。其何秒の間に、藤野さんの變つた態《さま》が、よく私の目に映つた。男は、宛然《まるで》鷲が黄鳥《うぐひす》でも攫《つかま》へた樣に、小さい藤野さんを小脇に抱へ込んでゐたが、美しい顏がグタリと前に垂れて、後には膝から下、雪の樣に白い脚が二本、力もなくブラ/\してゐた。其左の脚の、膝
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