個。驚くもんですか。』
『それぢや若し………若しね、』
『何が出ても大丈夫よ。』
『若しね、………』
『ええ。』
『罷《や》めた。』
『あら、何故?』
『何故でも罷めましたよ。』
 多吉は真面目な顔になつた。
『あら、聞かして頂戴よう。ねえ、先生。』
「…………………………………………。」と多吉は思つた。そして、『罷めましたよ。貴方が喫驚《びつくり》するから。』
『大丈夫よ。何んな事でも。』
『真個ですか?』
 多吉は駄目を推すやうに言つた。
『ええ。』
『少し寒くなりましたね。』
 松子は男の顔を見た。もう日が何時しか沈んだと見えて、周匝《あたり》がぼうつとして来た。渓川の水にも色が無かつた。
 松子は、と、くつくつと一人で笑ひ出した。笑つても笑つても罷《や》めなかつた。終には多吉も為方なしに一緒になつて笑つた。
『何がそんなに可笑いんです?』
『何でもないこと。』
『厭ですよ。僕が莫迦にされてるやうぢやありませんか?』
『あら、さうぢやないのよ。』
 松子は漸々《やうやう》笑ひを引込ませた。
「女には皆――の性質があるといふが、真個か知ら。」と不図多吉は思つた。そして言つた。『女に
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