うでせうか。』と言つて、松子は苦もなく笑つた。『大丈夫歩いてお目にかけますわ。慣れてるんですもの。』
『坂がありますよ。』
『大丈夫、先生。』
『そんな事を言はないで、今のうちに草鞋を買はせなさい。老人《としより》は悪い事は言はない。三里と言つても随分上つたり下つたりの山路ですぞ。』
 さう言つて目賀田は、目の前に嶮しい坂が幾つも幾つも見えるやうな目付をした。松子は又笑つた。心では自分が草鞋を穿いて此の人達と一緒に歩いたら、どんな格好に見えるだらうと想像して見た。そして、何もそんなにしてまで行かなくても可いのだと思つてゐた。
 さうしてるところへ、玄関に下駄の音がして多吉が入つて来た。
『貴方《あんた》もか、今井さん?』と目賀田が突然《いきなり》問ひかけた。
『何です?』
『貴方も下駄で行くのですかい?』
『ええ。何うしてです?』
『何うしてもないが、貴方方《あんたがた》が二人――貴方は男だからまあ可いが、矢沢さんが途中で歩けなくなつたら、皆《みんな》で山の中へ捨てて来ますぞ。』
 言葉は笑つても、心は憎悪《にくしみ》であつた。
 多吉は、『それあ面白いですね。誰でも先に歩けなくなつた
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