吉の立つた後、一同また不思議さうに目を見合つた。すると誰よりも先に口を開いたのは雀部であつた。
『何うも驚きました。――然し何うも、郡視学も郡視学ではありませんか? ××さんにそんな莫迦な事のあらう筈のない事は、苟《いやし》くも瘋癲《ばか》か白痴《きちがひ》でない限り、何人《なにびと》の目も一致するところです。たとへそんな噂があつたにしろ、それを取上げて態々《わざわざ》呼び出すとは………』
『いや今日私のお伺ひしたいのは、そんな事ではありません。視学は視学です。………それよりも一体何うしてこんな噂が立つたのでせう?』と、語気が少し強かつた。
『誰か生徒の父兄の中にでも、何かの行違ひで貴方を恨んでる――といふやうなお心当りもありませんのですか?』
仔細らしい顔をした一人の教師が、山羊のやうな顋《あご》の髯を撫でながらさう言つた。
『断じてありません。色々思出したり調べたりして見ましたけれども。』と強く頭を振つて××は言つた。「此の一座の中になくて何処にあらう?」といふやうな怒りが眼の中に光つた。或者は潜《ひそ》かに雀部の顔を見た。
それも然し何《ど》うやら斯《か》うやら収りがついた。
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