さんに済みません。それに私にしたところで、教育界に身を置いて彼是《かれこれ》三十年の間、自分の耳の聾だつたのかも知れないが、今迄つひぞ悪い噂一つ立てられた事がない積りです。自賛に過ぎぬかも知れないが、それは皆さんもお認め下さる事と思ひます。……実に不思議です。私は学校へ帰つて来てから、口惜《くや》しくつて口惜しくつて、男泣きに泣きました。』
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『………口にするも恥《は》づるやうなそんな噂を立てられるところを見ると、つまり私の教育家としての信任の無いのでせう。さう諦めるより外仕方がありません。然し何うも諦められません。――一体私には、何処かさういふ噂でも立てられるやうな落度があつたのでせうか?』
 一同顔を見合すばかりであつた。と、多吉はふいと立つて外へ出た。そして便所の中で体を揺《ゆすぶ》つて一人で笑つた。苦り切つた××の眇目《かため》な顔と其の話した事柄との不思議な取合せは、何うにも斯うにも可笑しくつて耐らなかつたのだ。「あの老人《としより》が男泣きに泣いたのか。」と思ふと、又しても新らしい笑ひが口に上つた。
 多
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