も、思懸けぬ幸福が湧いて來た! 智惠子は神の御心に委ねた身乍らに、獨《ひとり》ぼツちの寂しさを感ぜぬ譯にいかなかつた。
 行末怎うなるのか! といふ眞摯な考への横合から、富江の躁《はしや》いだ笑聲が響く。つと、信吾の生白い顏が頭に浮ぶ、――智惠子は嚴肅な顏をして、屹と自分を譴《たしな》める樣に唇を噛んだ。『男は淺猿《あさま》しいものだ!』と心で言つて見た。青森にゐる兄の事が思出されたので。――嫂の言葉に返事もせず、竈の下を焚きつけ乍らも聖書を讀んだ頃が思出された。亡母《はゝ》の事が思出された。東京にゐる頃が思出された。
 遂に、あの頃のお友達は今|怎《ど》うなつたらうと思ふと、今の我身の果敢なく寂しく頼りなく張合のない、孤獨の状態を、白地《あからさま》に見せつけられた樣な氣がして、智惠子は無性に泣きたくなつた。矢庭に兩手を胸の上に組んで、長く/\祈つた。長く/\祈つた。……
 侘《わび》しき山里の夜は更けて、隣家の馬のゴト/\と羽目板を蹴る音のみが聞えた。

   其五

      一

 何日しか七月も下旬になつた。
 かの歌留多會の翌日信吾は初めて智惠子の宿を訪ねたのであつた。其
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