ても、何が書いてあつたか全然心に留らない。新坊が泣き出しでもすると譯もなく腹立しくなる。幾度も幾度も室の中を片附けてゐるうちに、午食《ひる》になつた。
『小母《をば》さん、私の顏紅くなつて?』と箸を動かしながら訊いた。
『否《いえ》。些とも。』
『然う? ぢや平生《ふだん》より青いんでせう。』
『否《いゝえ》、何ともありませんよ。怎うかなすつたんですか?』
『怎うもしないんですけど、何だかホカ/\するわ。目の底に熱がある樣で……。』
『暑いところを山へなんか被行《いらし》つたからでせうよ。今日はこれから又甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]に蒸しますか!』
 何がなしに氣が急いて、智惠子はさつさ[#「さつさ」に傍点]と箸を捨てた。何をするでもなく、氣がそは/\して、妙な暗さが心に湧いて來る。「怎うもしないのに!」自分に辯疏して見る傍から、「屹度加藤さんで午餐《ひる》が出て、それから被來《いらつしや》る。」といふ考が浮ぶ。髮を結《ゆ》はう、結《ゆ》はうと何囘と無く思ひ附いたが、箪笥の上の鏡に顏を寫しただけ。到頭三時近くなつた。
「世の中が詰らな
前へ 次へ
全201ページ中122ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング