をついだ。『まあ何方《どつち》にした所で、祖母さんの病氣を癒すのが一番で御座いますがね。……何と返事したものかと思ひまして。』
『然うね。』と云つて、智惠子は睫毛の長い眼を瞬《しばたゝ》いてゐたが、『忝《かたじけ》ないわ、私なんかに御相談して下すつて。……あの小母さん、兎も角今のお家の事情を詳しく然《さ》う言つて上げた方が可かなくつて? 被行《いらつしや》る方が可いと、まあ私だけは思ふわ。だけど怎《ど》うせ今直ぐとはいかないんですから。』
『然うで御座いますねえ。』とお利代は俯向いて言つた。實は自分も然う思つてゐたので。

      一〇

『然うなすつた方が可いわ、小母さん。』と智惠子は俯向いたお利代の胸の邊を昵《ぢつ》と瞶《みつ》めた。
『然うで御座いますねえ。』と同じ事を繰返して、稍あつてお利代は思ひ餘つた樣な顏をあげたが、『怎うせ行くとしましても、それやまあ祖母さんが何《ど》うにか、あの快癒《なほ》つてからの事で御座いますから、何時の事だか解りませんけれども、何だかあの、生れ村を離れて北海道あたりまで行つて、此先|何《ど》うなることかと思ふと……。』
『それやね、決めるまでにはまあ、間違ひはないでせうけれど、先方の事も詳しく何して見てから……』
『其處《そこ》ンところはあの、確乎《たしか》だらうと思ひますですが……今日もあの、手紙の中に十圓だけ入れて寄越して呉れましたから……。』
『おや然うでしたか。』と言つたが、智惠子はそれに就いての自分の感想を成るべく顏に現さぬ樣に努めて、
『兎も角お返事はお上げなすつた方が可いわ。矢張り梅ちやんや新坊さんの爲には……。』と、智惠子はお利代の思つてゐる樣な事を理を分けて説いてみた。説いてるうちに、何か恁う、自分が今善事をしてると云つた樣な氣持がして來た。
『然うで御座いますねえ。』と、お利代は大きい眼を屡叩《しばたゝ》き乍ら、未だ瞭《はつき》りと自分の心を言出しかねる樣で、『恁うして先生のお世話を頂いてると、私はもう何日までも此儘で居た方が幾ら樂しいか知れませんけれども。』
『私だつて然う思うわ、小母さん、眞箇《ほんと》に……。』と言ひかけたが、何かしら不圖胸の中に頭を擡《もた》げた思想があつて言葉は途斷《とぎ》れた。『神樣の思召よ。人間の勝手にはならないんですわね。』
『先生にしたところで、』と、お利代は智惠子の顏を
前へ 次へ
全101ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング