!』と靜子が訊く。
 呆れてゐる信吾の顏を富江は烈しい目で凝視《みつ》めてゐた。

   其十一

      一

 前日に富江が來て、急に夕方から歌留多會を開くことになり、下男の松藏が靜子の書いた招待状を持つて町に馳せたが、來たのは準訓導の森川だけ。智惠子は病氣と言つて不參。到頭肺病になつて了つた山内には、無論使者を遣らなかつた。
 智惠子の來なかつたのは、來なければ可いと願つた吉野を初め、信吾、靜子、さては或る計畫を抱いてゐた富江の各々に、歌留多に氣を逸《はず》ませなかつた。其夜は詰らなく過ぎた。
 靜子の生涯に忘るべからざる盆の十四日の日は、晴々と明けた。風なく、雲なく、麗かな靜かな日で、一年中の愉樂《たのしみ》を盆の三日に盡す村人の喜悦は此上もなかつた。
 村に禪寺が二つ、一つは町裏の寶徳寺、一つは下田の喜雲寺、何れも朝から村中の善男善女を其門に集めた。靜子も、母お柳の代理で、養祖母のお政や子供等と共に、午前のうちに參詣に出た。
 その歸路である。靜子は妹二人を伴れて、寶徳寺路の入口の智惠子の宿を訪ねた。智惠子は、何か氣の退《ひ》ける樣子で迎へる。
『怎《ど》うなすつたの、智惠子さん? 風邪《かぜ》でもお引きなすつて?』
『否、今日は何とも無いんですけれど、昨晩丁度お腹が少し變だつた所でしたから……折角お使を下すつたのに、濟みませんでしたわねえ。』
『心配しましたわ、私。』と、靜子は眞面目に言つた。『貴女が被來《いらつしや》らないもんだから、詰らなかつたの歌留多は。』
『あら其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》事は有りませんわ。大勢|被行《いらし》つたでせう、神山さんも?』
『けれどもねえ智惠子さん、怎《ど》うしたんだか些とも氣が逸《はず》まなかつてよ。騷いだのは富江さん許り……可厭《いやあ》ねあの人は!』
『……那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》人だと思つてれヤ可いわ。』
 靜子は、その富江が山内の艶書を昌作に呉れた事を話さうかと思つたが、何故か二人の間が打解けてゐない樣な氣がして、止めて了つた。三十分許り經つて暇乞をした。
 二人は相談した樣に、吉野のことは露程も口に出さなかつた。
 靜子が家へ歸ると、信吾は待ち構へてゐたといふ風に自分の室へ呼
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