『ハハヽヽ。』と、信吾も爲方なしに笑つて、『實に詭辯家だな神山さんは!』
『詭辯家? 怎《ど》うせ然《さ》うよ。今の話も私が拵へたんだから!』
『否《いや》、其意味ぢやないんですよ。誰です、それを言つたのは?』
 其顏を嘲る樣に眤《ぢつ》と見て、『矢張り氣に懸るわね、信吾さん!』
『莫迦な!』と言つたが、女に自分の心を探られてゐるといふ不快が信吾の頭を掠めた。『それより奈何です、その吉野の方へ行つてみませんか?』
『行きませう。』
 信吾はつと立つて縁側に出ると、『吉野君』と大きく呼んだ。
『何だ?』と落着いた返事。
『晝寢してたんぢやないのか! 今神山さんが來たが、其方へ行つても可《い》いか?』
『來たまへ。』
『行きませう。』と富江を促して、信吾は先に立つ。富江は何か急に考へることでも出來た樣な顏をして、默つてその後に跟いた。縁側傳ひ、蔭つた庭の植込に蜩《ひぐらし》が鳴き出した。

      四

 今年の春の巴里のサロンの畫譜を披いて、吉野は何か昌作に説明して聞かしてゐた。
 一通りの挨拶が濟むと、富江はすぐ立つて、壁に立掛けてある書きかけの水彩畫を見る。信吾はゴロリと横になつて、その畫のことを吉野と語る。
『昌作さん。』と富江が呼びかけた。『貴方昨日町へ被行《いらし》つて?』
『行つた。山内へ見舞に。』
『奈何《どう》でしたの、御病氣は?』と笑つてゐる。
『それや可哀想ですよ。臥《ね》たり起きたりだが、今年中に死ぬかも知れないなんて言つてるもの。』
『其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》に惡いかねえ。それや可哀想だ。何しろあの體だからなア。』と、信吾は別に同情した風もなく言ふ。
『盛岡に歸るさうだ。四五日中に。』
『昌作さん。』と富江は又呼んだ。そして急しく吉野と信吾の顏を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、
『好い物上げませうか、貴方に?』
『何です?』
『好い物なら僕も貰ひたいな。』
『信吾さんにはいや。ねえ昌作|樣《さん》、上げませうか?』
『何だらうな!』と昌作は躊躇する。
『二人が喧嘩しちや可けないから僕が貰ひませうか?』
と吉野は淡白に笑ふ。
『ねえ昌作さん、誰方にも見せちや可けませんよ。』
『可し、志郎と二人で見る。』
『否《いゝえ》、貴方《あなた》一人で見なくちや可けないの
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