くする。見よう見まねで、静子の二人の妹――十三の春子に十一の芳子、まだ七歳《ななつ》にしかならぬ三男の雄三といふのまで、祖父母や昌作、その姉で年中|病床《とこ》についてゐるお千世《ちせ》などを軽蔑する。其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》間《なか》に立つてゐる温和《おとな》しい静子には、それ相応に気苦労の絶えることがない。実際、信吾でも帰つて色々な話をしてくれたり、来客でもなければ、何の楽みもないのだ。尤も、静子は譬へ甚※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》事があつても、自分で自分の境遇に反抗し得る様な気の強い女ではないのだが。
画家の吉野満太郎が来たのは、又しても静子に一つの張合を増した。吉野の、何処か無愛相な、それでゐてソツのない態度は、先づ家中《うちじゆう》の人に喜ばれた。左程長くはないが、信吾とは随分親密な間柄で、(尤も吉野は信吾を寧ろ弟の様に思つてるので)この春は一緒に畿内《きない》の方へ旅もした。今度はまた信吾の勧めで一夏を友の家に過す積りの定《きま》つた職業《しごと》とてもない、暢気《のんき》な身上なのだ。
言ふまでもなく信吾は、この遠来の友を迎へて喜んだ。それで不取敢《とりあへず》離室《はなれ》の八畳間を吉野の室《へや》に充てて、自分は母屋の奥座敷に机を移した。吉野と兄の室の掃除は、下女の手伝もなく主《おも》に静子がする。兎角、若い女は若い男の用を足すのが嬉しいもので。
それ許りではない、静子にはモ一つ吉野に対して好感情を持つべき理由があつた。初めて逢つた時それは気が付いたので。吉野は顔容《かほかたち》些《ちつ》とも似ては居ないが、その笑ふ時の目尻の皺が、怎《ど》うやら、死んだ浩一――静子の許嫁――を思出させた。
生憎《あいにく》と、吉野の来た翌日から、雨が続いた。それで、客も来ず、出懸ける訳にもいかず、二日目三日目となつては吉野も大分《だいぶ》退屈をしたが、お蔭で小川の家庭《うち》の様子などが解つた。昌作も鮎釣《あゆかけ》にも出られず、日に幾度となく吉野の室を見舞つて色々な話を聞いたが、画の事と限らず、詩の話、歌の話、昌作の平生《ふだん》飢ゑてる様な話が多いので、モウ早速吉野に敬服して了つた。
降りこめた雨が三十一日(七月)の朝になつて
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