もう昨日あたりからポツ/\小言が始りましてね。ホヽヽヽ。』
『然《さ》うですか。』と加藤は快活に笑つた。
『それぢや今年は信吾さんに逃げられない様に、可成《なるべく》早くお癒りにならなけや不可ませんね。』
『えゝモウお蔭様で、腰が大概《あらかた》良いもんですから、今日も恁《か》うして朝から起きてゐますので。』
『何ですか、リウマチの方はモウ癒つたんで?』と信吾は自分の話を避けた。
『左様、根治とはマア行き難《にく》い病気ですが、……何卒。』と信吾の莨を一本取り乍ら、『撒里矢爾酸曹達《さるちるさんさうだ》が尊母《おつか》さんのお体に合ひました様で……。』とお柳の病気の話をする。
開放《あけはな》した次の間では、静子が茶棚から葉鉄《ブリキ》の罐を取出して、麦煎餅か何か盆に盛つてゐたが、それを持つて彼方《むかう》へ行かうとする。
『静や、何処へ?』とお柳が此方《こつち》から小声に呼止めた。
『昌作《をぢ》さん許《とこ》へ。』と振返つた静子は、立ち乍ら母の顔を見る。
『誰が来てるんだい?』と言ふ調子は低いながらに譴《たしな》める様に鋭かつた。
(三)の二
『山内|様《さん》よ。』と、静子は穏《おとな》しく答へて心持顔を曇らせる。
『然うかい。三尺さんかい!』とお柳は蔑《さげす》む色を見せたが、流石に客の前を憚つて、
『ホホヽヽ。』[#「『ホホヽヽ。』」は底本では「「ホホヽヽ。』」]と笑つた。『昌作さんの背高《のつぽ》に山内さんの三尺ぢや釣合はないやね。』
『昌作さんにお客?』と信吾は母の顔を見る。
其《その》間《ま》に静子は彼方の室《へや》へ行つた。
『然うだとさ。山内さんて、登記所のお雇さんでね、月給が六円だとさ。何で御座いますね。』と加藤の顔を見て、『然う言つちや何ですけれど、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《あんな》小い人も滅多にありませんねえ、家《うち》ぢや小供らが、誰が教へたでもないのに三尺さんといふ綽名《あだな》をつけましてね。幾何《いくら》叱つても山内さんを見れや然う言ふもんですから困つて了ひますよ。ホホヽヽ。七月児《ななつきご》だつてのは真個《ほんと》で御座いませうかね?』
『ハツハヽヽ。怎《ど》うですか知りませんが、那※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−5
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